見出し画像

私はただただ、消費しているだけで

東京に時々遊びに行っていた頃。

たくさんのワクワクするお店、カフェ、街並みに浮き浮きしながら「都会」を満喫して、帰る前にダメ押しのようにそれほど喉も乾いてないお腹もすいてないのに「旅の思い出に!」と某コーヒーショップに立ち寄った。
当時は地元にはまだないお店で、東京に行ったら絶対に行きたい場所の一つだった。
大好きなシナモンロールとカフェラテ。行きたいところを足がそれこそ言葉通り棒になるほど酷使して歩いて回った末の、最後の最後の贅沢を満喫。

そんな時、テラス席から見えるところに公園らしきものがあって、そこからホームレスらしきおじさんと、野良猫が1匹出てくるのが視界にはいった。
猫はおじさんにきっとご飯をもらっているんだろう。おじさんのいくところいくところ健気についてくる。
おじさんもそっけないふうだけど、抱っこしたり、呼んでみたり。なかなか微笑ましい。
おじさんが公園近くのコンビニに入ると、猫は自分は入れないことを承知しているのか、コンビニの前でニャーニャー鳴いておじさんを待っている。

しばらくたって、コンビニから出てきたおじさんは猫と再び公園前まで戻り、小さなレジ袋から缶詰めらしきものを出して猫にあげていた。自分は何を買ったのだろうか。コンビニ袋は小さかった。おじさん、自分の分は?

自分の欲しいものを買い、食べたいものを食べ、今もそれほど必要に迫られていないのに「せっかくだから」とカフェでお茶なんかしている。
自分でこの日の為に頑張って稼いだお金でしている事なのに、何故か
ただただ、急に自分がとても私利私欲にまみれた人間に思えてしまった。
実際にそうなのだろう。大変小規模ではあるが。

おじさんが何故ホームレスになったかは分からない。
猫が何故野良猫になったのか、元は飼い猫だったのか、それとも野良が産んだ野良の子なのかもわからない。

ひたすら消費してばかりの自分の行動に、その頃から疑問を持つようになった。疑問というよりは「後ろめたさ」かもしれない。

だからと言って、急に目覚めて支援活動に参加する積極性を持てる訳でもなく、だからと言って、急に物欲が消える訳でもなく、欲しいものは欲しいし、休みの日には出かけたくなる。でもいつもどこかで、これでいいのかと思ってグルグル考えてしまう。


今の私にできる事は、ささやかすぎるけどビックイシューを買う事。そして目の前に現れた「命」を惜しみなく愛し続ける事。

画像1





さいごまで読んでいただき感謝の気持ちでいっぱいです(o^―^o)!! 貴重なあなたの時間の一部が、よいものとなりますように✨