これはやっかいな病。だけど嫌ではない。
子供の頃から身近に「手作り」があり過ぎた
パン、お菓子、人形、おもちゃ
なんなら家具まで
母はパンをよく焼いてくれた
3人姉弟を養うため、市販のパンより遥かに安上がりだったから
パンは買うものではなく、家で作るものが当たり前になっていた
だから
就職して家を離れ、一人暮らしになった時
店頭で食パンや菓子パンを買うたびに
「パンを買ってしまった」
となぜか後ろめたかった
テーブルも
一見市販のテーブルに見えて、実はコタツだった物のリメイクだったり
天板を別のものに付け替えてたり
やたら重たい枠組みのベッドを作ったり、ある時は市販の二段ベッドを切断して一つずつのベッドに作り変えたり・・・
それは主に父の仕事、というか趣味だった
だから
上京時にベッドを買った時、市販のベッドの軽さに驚いた
こんなに軽くて私が乗っても壊れないか不安さえ感じた
流行りのヒーロー物の武器でさえ
弟が欲しがると父が木の端材で作ってしまった
もちろん
レーザーも光らなければ音もならない随分素朴な武器だ
わたしのリカちゃん人形の服も、もちろん手作り
フリルやビーズやらの可愛らしい装飾皆無のその時の余り布で作った
やたらシンプルな衣装
でも我が家ではそれが当たり前の風景だった
手作りのものは市販のものより存在感が強かった
パンもお菓子も中身が詰まっているのかすぐに無くなる市販のものより
ずっしりお腹に残った
家具やおもちゃは、重量感がありすぎて
市販のものがこんなに軽くて壊れないのかと感じてしまうほどだった
とにかく、なんでも作れるものは作ってきた環境に当たり前に子供の頃からさらされていたからか、大人になってから厄介なこだわりが出現するようになってしまった
市販の家具では、なんだかしっくりこない
家と合っていない
部屋と合っていない
私好みではない
では
なんとか作れないか?とまずは考えてしまう
しかもこの数年間の間に、素人なりに以前に比べて
簡単な物なら作れるようになってしまった
廃材をもらう機会に恵まれすぎてしまった
作るも作らないも時間と手間と自分次第
お金がないから余計選択肢は否応なしに「作っちゃいなよ」
に流れる
ああ、そうだ子供の頃もそうだった
何でも作るはお金がない、お金をかけられないところから来ていたんだ
だけどそれは、仕方なくではなく楽しんでいたようにも見えたし
実際そうだったのだから、よい記憶として染みついているんだ
なんてこった
ますますこれ作れるんじゃない?病が治らない
職人でもなんでもない私が作るものは全て未完全のニセモノなんだろうけれど
どうせ納得できない本物を買うのなら、できる事はすればいい。