芸人になりたくなかった。
今から4年前、私は一般企業に勤めるOLだった。
私の通っていた高校は一学年約320人いた。
そのうち就職を希望したのは18人。
私はその中にいた。
私にはずっと、「テレビに出る人になる」という夢があった。
だけどその夢は誰にも話せなかった。
そして私と親しい誰もが、私がそんな夢を持っている事を想像すらも出来なかったと思う。
私は幼い頃から重度のあがり症だった。
目立つ事をするのが大好きで、自己顕示欲だけは一丁前にあるのに、人の目に晒されると顔が真っ赤になって、声や手足が震え、自分の身体が思うように動かなくなってしまう。
そんな矛盾と闘いながら、きっと心のどこかで叶う事のない夢だと自分自身で思っていた。
だから人にも言えなかった。
私がそんな夢を持ったきっかけは出川さんにある。マセキ芸能社所属の出川哲郎さん。
小学生の頃に観た「世界の果てまでイッテQ」の企画で、出川さんが‘‘ペットボトルロケットで人は飛べるのか’’という企画で失敗して砂浜に突き刺さっているのを見て過呼吸を起こすくらい笑った。
家族もみんな大笑いしていた。
私は自分の言動で家族が笑ってくれる事に凄く喜びを感じる子供だったから、こうやってお茶の間を明るくさせる力を持っている出川さんに密かに、でも強い憧れを抱くようになった。
そして中学3年生になり、受験勉強に励んでいた頃、担任の先生に「今の成績じゃ志望校への進学は無理だ。」と言われ、凄く落ち込んでいた。
そんな時でも出川さんを観ていると、気付いたら大笑いしてる。
私にとって出川さんはヒーローだった。
だから私も出川さんみたいになりたい。
それが「テレビに出る人になりたい」と思ったきっかけ。
そして高校生になり、あらゆるオーディションを受けた。
両親にはこのタイミングで夢を打ち明けた。
意外にも反対はされなかったけど、今思えば本気にしていなかっただけかもなと思う。
オーディションの日程は大体土日なので、部活動には入らなかった。
東京へ出る為の交通費を稼ぐためにバイトも始めた。金の虫になっていた。
当時は「テレビに出る人」のなり方なんて分からず、とりあえず事務所に所属すればテレビに出られると思っていた。
だから歌手オーディション、タレントオーディション、‘‘オーディション’’と名の付くものには片っ端から応募しては審査員の前でぶるぶる震えてた。震えにオーディションに行ってるかと思うくらい震えてた。
恐らく100個近く落ちた。
私なんで諦めなかったんだろう。笑
そんな日々を繰り返して、高校2年生も終わる頃、進路希望調査用紙を出す時が来た。
第一志望に「テレビにでる人」なんて書く勇気はなかった。
その頃は趣味がお菓子作りという理由だけで、パティシエになる道も少し考えていたので、何度か製菓学校のオープンキャンパスにも行っていた。
だから第一志望に「製菓学校」と書いて出した。
高校3年生の春、いよいよ本格的に進路を決めなくてはならない時が来た。
その時に冷静になってよーーく考えてみた。
私は本当にパティシエになりたいのか?
「テレビに出る人」以外になりたいものなんて正直なかった。
本気でなりたい訳じゃないのに、その学校に通うお金を出してくれるのは誰だ?
‘‘学生’’という肩書がなくなるのが怖いだけじゃないか?
私には4歳年上の姉と、2歳年上の兄がいる。
2人ともそれぞれ短期大学、専門学校を卒業して、現在姉は保育士、兄は柔道整復師として働いている。
でもテレビには資格を取ったら出られる訳じゃない。
確約された将来がない。
テレビに出る人になれなかったらお菓子職人になろうなんて、夢に保険を掛けてる時点で成功なんてしないだろうと思った。
今となっては正直、どんなやり方だろうと売れたら勝ちだと思ってる。
5年も経てば考え方は180度変わるのだ。
だけどこの当時は、一本気じゃなきゃダメだ!!という固定観念が強くあった。
それなら一度就職して働きながらオーディションを受け続けて、本当に心の底からお菓子職人になりたいと思う時が来たら、貯めたお金で製菓学校に行こう。と思った。
そして偶然にも、高校時代一番仲の良かった「あいちゃん」も就職をするらしかった。
彼女は学校創立11年来、毎年行われている英単語テストでは歴代唯一の満点を取り(300問全問正解。凄さ、伝われ〜)、通知票はオール5で卒業をした才女だ。
彼女がなぜ大学に進学しなかったのか疑問だった。
理由を尋ねても、「大学で学んだ先にやりたい事とか特にないから、だったら今から働く。」との返答だった。
彼女の存在はとても心強かった。
そんなこんなで就職する事を決意した。
就職を決めたは良いものの、求人票をながめていても特にやりたい仕事などなかった。
私は幼稚園児の頃からパソコンを触っていたし、通っていたその高校も一人一台パソコンを持つ事が義務付けられていて、Officeのソフトは一式、授業で使い方を習っていた。
だからパソコンを使う事務作業なら出来るかな、と思った。座れるし、夏は冷房が効いていて、冬は暖房が効いているんだろうな。いいな。そんなノリだった。
キャリア担当の先生が、「ここ、ボーナスがめちゃくちゃ良いからオススメだよ〜」と言って見せてくれたのは自動車部品メーカーの事務の求人票だった。
確かに条件は良かった。
しかしここで思った事があった。
(そもそも正社員になってしまったら、オーディションの日程の融通は利かないし、辞めるのも苦労しそうだ。
そうだ、アルバイトが一番いいじゃないか。
よし。夢を追うフリーアルバイターになろう。)
その時期あいちゃんの家に遊びに行くと、そんな私の考えを見透かしているかのようにあいちゃんのお母さんが、
「るいちゃん、就職失敗してフリーターになんかなったら遊びに来てももう家上げないからね!(笑)」
と言った。
「(´⊙ω⊙`)!!」
多分こんな顔になっていたと思う。
それはカエルパンチを食らったみたいな衝撃だった。
その言葉は明らかに冗談だったけれど、冗談澱粉に包んだ本音だということは何となく感じ取れた。
私自身、フリーターになるという選択を親に話せていない時点で自分の中でも後ろめたさがあるという事には気が付いていた。
そして夏休み前の三者面談の日がきた。
私はそこで、正社員になるのか定職に就かずフリーターになるのか、ハッキリしなければならなかった。まだ母にも言えていない。
面談の時間になったので教室に向かうと、椅子に座って汗を拭っている母の姿が見えた。
就職を辞めたなんて言ったら、私を17年間育ててくれた、この愛らしくて大好きな母をガッカリさせてしまうかもしれない。(母の見てくれは、あたしンちの母をすこしだけスリムにしたような感じを想像して下さい。)
「自動車部品メーカーへの就職を希望します」
担任の先生にそう伝えた。
高校の就活は、一度に1社しか受けることができない。
もしここがダメだったら、次を受ける事はせず、本当にフリーターになろうと思っていた。
2ヶ月後、無事に自動車部品メーカーへの就職が決まった。
親友のあいちゃんも銀行への就職が決まった。
その次の春、私は社会人になった。
それからは本当にしんどかった。
会社の上司や先輩は本当に優しくて、何一つ嫌な事はなかった。
でも、常に頭の中にあったのは、
「この時間に何の意味があるんだろう?」
だった。
私は今1歩たりとも夢に近づいていないじゃないか。就職したのは夢の為なんかじゃない。結局怖かっただけだ。世間体ばかり気にして、言い訳して、私は一体何がしたいんだろう。
周りにいる、自分のなりたいもののために真っ直ぐ突き進んでいる専門学生や、なりたいものが見つかっていなくても日々勉強しながら探している大学生が本当に羨ましくて、妬ましくて、自分の心がどんどん荒んでいくのを感じた。
結局自分はどんな道を選んでも自分で決めたことに胸を張れないんだろう。
きっと私は生まれてからずっと、甘えた考えで生きてきたんだ。
こうやって自分の人生を顧みた時、私は長いこと重大なミスを犯している事に気が付いた。
今まで色々なオーディションを受けてきたけど、私が憧れているのは出川さん。
出川さんは芸人だ。
じゃあ芸人にならなきゃ出川さんみたいにはなれないじゃないか。
どうして今まで気が付かなかったんだろう。
いや、本当は最初から気付いていた。
だけど私が芸人になんて絶対になれるわけがない。人前であんなに震えてしまう自分がネタなんか出来るわけがない。
そうやって挑戦する事すらしようとしていなかった。
誰かに馬鹿にされるのが怖いとか言って、一番無理だって思ってたのは自分自身だった。
もういい加減、逃げたり言い訳するのはやめよう。怖がるのもやめよう。
よし。芸人になろう。
そして、NSCに入学することを決めた。
親に話したのはNSCの面接(あってないようなもの)を受け、合格通知が来てから。あとは入学金を振り込むだけ。全部事後報告だった。
報告を受けて、母が言った。
「るいの人生じゃん。るいはお母さんのものじゃないんだから。やってみなよ。」
私の就職が決まった時、母がFacebookに、「末っ子の就職が決まりました。今時親孝行だなぁ。」と投稿していたのを私は知っていた。
本当は母にもいろんな思いがあると思う。
それでもそうやって背中を押してくれた。
父は応援してくれている一方で、「るいに芸人は向いてないと思うけどな。」と溢していた。
それで喧嘩する日もあった。
父にこてんぱんにちっちめられた私は歯磨きしながらしくしくしていると、母に「お母さんには愚痴ってもいいから、頑張ってみな。」と言われた。
私は母の事がずっと大好きだったけど、正直母は姉弟の中で一番私をどうでもいいと思っていると感じていた。
だからそんな事を言うなんて本当に驚いた。
本当に母の娘で良かった。
ありがとうマミィ。
そして肝心な入学金について、その時期口周りのガタつきが気になって(芸能人になるなら歯並びは大事だよな。)と思い、歯列矯正をするために一括で50万円支払ってしまったので懐が空っぽだった。
それ故、就職しても実家に住まわせてもらう代わりに毎月5万円家に入れていたお金を一旦返してもらい、43万7,000円を振り込んだ。
こうして私はNSC生となる。
もうさすがに長すぎるので会社を辞める話はまた今度別で出来たらいいな。笑
最後に、会社を辞める時に親友あいちゃんに送付したLINEの文章を貼って終わりにしたいと思う。
今までの長文なんか読まなくてもこれを読めば全部わかると思う。笑
以下が実際に私があいちゃんに送ったメッセージ。
以下が、あいちゃんからのお返事。
こちらこそありがとう!!!!!!!
あいちゃんは、上司のパワハラに悩んでいて、涙ながらに電話をしてきた夜もあった。
でもその現状を打開するために働きながら予備校に通って、現在は転職して公務員になった。
実はNSCに入る事を決めた時、(あいちゃん、相方になってくれないかな。)と思い、LINEでのやりとりの流れからそれとなく「あいちゃん、私と吉本入って漫才やろうぜ!」と誘ってみたことがあった。
しかし、「ワロタwwwwwww5年売れずに仲悪くなって解散して終わりそう!」と、全く相手にされずにフラれた。
芸人になって2年、正直未だに自分の進む道がこれで正解かどうかは分からない。
60歳になった時、答え合わせして正解だった!って胸張って言えたらいいな。
言えるように今を生きなきゃな。
そうそう、いつからか自分の将来に見据えた目標を「夢」と表現するのをやめた。
夢って言うと一生綺麗で輝いて見えるけど手には届かないもののような気がするから。
ただの言霊かもしれないけど。
私の目標はゴールデン帯のバラエティ番組のロケにたくさんいって、体を張ったお笑いをやること。
それで全国の家庭の食卓を、そして私の家族、親友を笑顔満天お花畑にしたい。
出川さんに与えられた気持ちを、私も誰かに与えられるようなひとになろう。
だから私は絶対に芸人として成功するんだ。
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