まるいるい

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  • まるいの家族エッセイ

    まるいるいの、父親をはじめとした家族の話です。

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思春期でも父のことが大好きだった理由【家族エッセイ】

最近、中学生の娘を持つ男性がこんなことをぼやいていた。 「うちの子、最近口を利いてくれなくなっちゃった。やっと口開いたと思ったら「キモい!臭い!ウザい!」だよ。るいちゃんはお父さんが嫌いな時期あった?」 自分に置き換えて想像してみた。戦慄した。そんな言葉を私が父に投げかけたらどうなることか。 私が父を嫌っていた時期はない。 喧嘩している時以外、父のことは好きだ。 私の父は、恐かった。 怖いというよりは恐ろしかった。言い方を変えると、威厳があった。 父は基本的に明るく剽軽

    • 父親に恋路を邪魔された話

      2017年11月27日。 二十歳の誕生日を迎える前日の夜。 私は父の運転する車に揺られていた。 当時お世話になっていた先輩が、品川にある焼肉屋で誕生日を祝ってくださることになっていた。 19歳の私は、まだ横須賀の実家に住んでいたので、父が最寄り駅まで車で送ってくれた。 父にお礼を言って車を降りて数十分、父からLINEが入った。 「財布、車に忘れて行ったよ」 しまった。ポケットから落ちてしまったのだろうか。 取りに戻ろうかとも考えたが、もう金沢八景まで来てしまっていた。

      • 1日はそわそわする

        11月1日。 この記事は「11月1日」とだけ書いてアップしてしまった記事だ。 毎週金曜日に更新しようと決めているこのnote。二週連続で休載してしまった。 まずい、まずい。何か書かねば。 思いとは裏腹に、取り留めて書くような話題が浮かばなかった。 そんな中で迎えた11月1日。 1日は毎月焦る。 何かを始めたり、願掛けをするには絶好の日取りだと勝手に思っている。 そういえばNSC(吉本の養成所)の入学金を振り込んだのも11月1日だった気がする。 いや、11月11日だったか

        • 親にしてもらったこと【家族エッセイ】

          小学四年生の頃、ディズニーランドに行ったことがない子は、六十人いる同級生の中で私ともう一人しかいなかった。 ディズニーランドに行ったことがない子の方が珍しいということを証明したくてわざわざ学年中を尋ねて回ったのだ。 私は神奈川県出身なので、それくらいの年頃になればディズニーランドに行った経験がないというのはマイノリティになってしまうのだ。 それが理由で除け者にされたこともなければ揶揄われたこともなかったが、六十人の中で二人しかいない、という事実は両親の前で可哀想な自分を演

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        思春期でも父のことが大好きだった理由【家族エッセイ】

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        • まるいの家族エッセイ
          26本

        記事

          どんでん返ししか喜べない体

          私は小説も読むし映画も観る。 よく読むのかと聞かれるとそうでもないし、よく観るのかと聞かれてもそうでもないので、人並み程度なんだな、くらいに捉えて欲しい。 その中でも私は、どんでん返しがある小説や映画を好んでいる。 寧ろそれがないのなら読みたくない、観たくないまである。 「どんでん返しあるってわかってたら面白くなくない?」 よく言われる。何もわかっちゃあいない。 私は非常に頭が悪いので、どんでん返しがあると知っていたところでトリックを見破れたことも伏線に気がついたことも

          どんでん返ししか喜べない体

          1番好きな食べ物って難しい

          「一番好きな食べ物は?」と聞かれて、即答できる人はどれくらいいるのだろう? 幼い子供は 「からあげ」 「いちご」 「チョコケーキ!」 と、即答するケースが多いような気がする。 それは、引き出しの少なさが故だと私は考えている。 初めて会う人に、「本当に一番好きな食べ物ってなんですか?」と聞くようにしているが、やはり即答する人は多くない。 答えも、何個か出てくる。 それが良い悪いと言っているのではなく、この世に美味しい食べ物が多いよね、というだけの話なのだが、私は一番好き

          1番好きな食べ物って難しい

          大親友が男だった

          私には男友達と呼べる存在が片手で数えられるくらいしかいない。 芸人の同期は、仲は良いけれど友人ではなく「同期」なので数には含めない。 私は、男と女が分かり合うのは無理だと思っている。 同じ人間だけれど、犬と猫、バクとアリクイくらい違う生き物だと思っている。染色体の数が同じというだけだ。 同性同士でも理解できないこと、分かり合えないことは多々あるのに、そこに性別の違いという要素が乗っかると、更に複雑になる。 男として歩む人生と、女として歩む人生では違うことが多過ぎる。 性

          大親友が男だった

          矢島美容室になりたい

          ミ〜カ〜タ 私と同世代のお友達で知らない人は殆ど居ないであろう存在、矢島美容室。 初対面でも矢島美容室の話をしておけば、大抵は仲良くなれると言ったら過言だが、話のネタの一つにはなる。 私が矢島美容室に熱狂していたのは2008年、11歳の頃だ。 友達からの誕生日プレゼントが、矢島美容室の「ニホンノミカタ」のCDだった。 この間、改めて「ニホンノミカタ」を聴いた。 それはそれは素晴らしくて涙が出そうだった。 16年経っても色褪せない風刺の効いた歌詞。 そうだ、私は矢島

          矢島美容室になりたい

          13年間毎日書いてた日記をやめた

          私は小学5年生から23歳になるまでの13年間、毎日日記をつけていた。 小学校を卒業した日の気持ち、父と喧嘩して気まずくなった時の気持ち、部活が嫌になって庭で泣いた日の気持ち、初めて母に反抗した日の気持ち、高校に入学した時の気持ち、初めての彼と付き合った日の気持ち、姉が就職して家を出て行った日の気持ち、喧嘩して3ヶ月間口を利かなかった親友と仲直りできた日の気持ち、兄がバイト代でお小遣いをくれた日の気持ち、全てその時、その瞬間の私の気持ちが鮮明に書かれている。 勿論、芸人になる

          13年間毎日書いてた日記をやめた

          お盆と褌

          お盆。実家に帰省した。 久しぶりに父に会った。 開口一番、「noteはもう更新しないの?」 ぎくり。 突かれたくないところを突かれてしまった。 「今は〜こうこうこうだから〜お休みしてて〜」 脊髄反射で言い訳をしてしまった。 運良く、連載開始一ヶ月で私の文章がX(旧Twitter)で多くの方に読まれた。 しかし、その後反響が少なくなってしまったのでモチベーションが下がって、書くことが苦しくなったからサボっていたのだ。ただそれだけ。言い訳の余地もない。私の弱さ一点だ。情けない

          シェアハウス殺人未遂事件

          2021年12月某日。 当時住んでいた都内家賃1万5千円のシェアハウスで殺人未遂事件が起こった。 上京して数年、元々住んでいた家を諸事情で出なければならなくなった。その時の私の全財産は65,503円。なんとか有り金で住める家はないかと探した結果見つけたのがそのシェアハウスだった。 初期費用は59,000円。ギリギリだった。 シェアハウスは4階建てで、私は女性専用フロアの2階に住むことになった。どのフロアにも女性は住んでいたが、専用は2階だけだった。 2階には部屋が3部屋あ

          シェアハウス殺人未遂事件

          父との徒然なる思いで【家族エッセイ】

          父がセルフで髪を染めた日。 幼い頃の私は父と共に風呂に入った。 横並びになって頭を洗っていると、父がシャワー水栓の上に黒いモコモコの泡をいくつか並べていた。父の行動の意図を知る由もなかった私はそのモコモコを無慈悲にシャワーでザッと洗い流した。 「あっ!!!色の違いを見てたのに!!」 どうやら父は髪を数回洗うことで、染め粉混じりの黒い泡が白に近づいていく様子を面白がっていたらしい。 そんなこととは知らずに勢いよくモコモコを駆逐してしまった。その時の父の悲しそうな顔が20年近

          父との徒然なる思いで【家族エッセイ】

          デブとかぶたとか

          私は体型を凄く気にしている。 多感だった小学校高学年から中学生にかけて、父と兄に「デブ」だの「ぶた」だの「レスラーみたいなガタイだな」などと散々言われたからだ。 それでも、私の体重は厚生労働省が定めた標準体重と丁度同じであった。見た目は確かに少しふくよかではあったが。 今となれば分かる。可愛さのあまりに戯れたくて、ちょっかいをかけたくて言ってしまっていたということ。 それでもその言葉は最も簡単に私を呪縛した。 当時付けていた日記を読み返しても、「今日は体重が◯キロになってし

          デブとかぶたとか

          私の家族の悪いところ【家族エッセイ】

          今から綴ることは、私の短所の言い訳である。 私はお世辞を言うことや他人を褒めることが頗る苦手だ。 そして、褒められることも苦手だ。 その原因は育った環境にあると考えている。 私の家族は所謂‘‘イジる’’ことで仲を深めてきてしまった。 「家族」と一括りにしてしまったが、主に父と兄と私だ。 「ブサイクだなー!」 「デブだなー!」 「ハゲだなー!」 これらは常套句である。 (ハゲに関しては父に対してのみ適応される。) 全く時代に即していない不適切な家族なのである。 父はイ

          私の家族の悪いところ【家族エッセイ】

          私の不可解な体験談

          数年前、秋葉原の駅でメキシコ人の小児科医のおじさんを道案内した。その人は「アルフォンソ」と名乗った。お礼をしたいからメールアドレスを教えてくれと言われ、業務用に使っているアドレスを渡すと後日ひらがなだらけのお礼メールが届く。それがなんだか可愛らしくて何通かメールのやり取りをした。 それから1年後、日本人の子供を手術する為に来日すると連絡が。メキシコのお土産を渡したいからと、新宿のベックスコーヒーで会う事になった。 アルフォンソさんは会話も程々に、何やら鞄から小さな小包みを出

          私の不可解な体験談

          親から学ぶ‘‘結婚とは’’【家族エッセイ】

          私の両親は結婚して30年が経っても毎日一緒に寝て、起きて、ご飯を食べて、晩酌をして、また一緒に寝る。時々旅行にも行く。 この先何があるかは分からないが、二人はどちらかが死ぬまでずっと一緒なのだろう。 以前、父の会社の業績が芳しくなかった時があった。 後から聞いた話だが、その頃は父も相当参っていたようで、ある日、会社を畳むことになるかもしれないと母に告げたそうだ。 すると母は 「そうなんだ。じゃあこの家売って吹いたら飛ぶようなアパートに住もうか(笑)私はあなたが居てくれれば

          親から学ぶ‘‘結婚とは’’【家族エッセイ】