まるいるい
まるいるいの、父親をはじめとした家族の話です。
最近、中学生の娘を持つ男性がこんなことをぼやいていた。 「うちの子、最近口を利いてくれなくなっちゃった。やっと口開いたと思ったら「キモい!臭い!ウザい!」だよ。るいちゃんはお父さんが嫌いな時期あった?」 自分に置き換えて想像してみた。戦慄した。そんな言葉を私が父に投げかけたらどうなることか。 私が父を嫌っていた時期はない。 喧嘩している時以外、父のことは好きだ。 私の父は、恐かった。 怖いというよりは恐ろしかった。言い方を変えると、威厳があった。 父は基本的に明るく剽軽
私の10歳の誕生日に、我が家にうさぎがやってきた。そのうさぎは灰色でもぐらみたいだからと父に「もぐたん」と名付けられた。 長年、犬を飼いたいと里親募集のページを印刷して提出し続ける私と頑なに却下し続ける母とのやりとりを見ていた父が、折衷案として連れて来てくれたのがもぐたんだった。 もぐたんはホーランドロップのメス。ホーランドロップの性格をネットで調べると、「人懐っこく愛嬌がある。活発で好奇心旺盛で寂しがりや。飼い主の後をついてまわる子も珍しくない。うさぎ界の甘えんぼ代表。
私の父は異様に痛みに強い。 痛みの感じ方は人それぞれなので、強い弱いの比較が難しいが、それにしても父は異様に強い。 父は若い頃、群発頭痛を発症した。この頭痛は別名「自殺頭痛」と呼ばれており、その痛みのあまり自ら命を絶ってしまう患者もいるそうだ。 私が小学校高学年になる頃まで毎年、決まった季節に父はこの頭痛に襲われていた。その季節が来ると父は夕飯の時間にはベッドに入って時が過ぎるのを待っていた。ある時父の様子を見に行くと片目から大粒の涙が流れていて、父が泣くなんて相当痛いんだ
父の、異様に機械に強いところが尊敬するポイントの一つだ。 PCも、ヘアアイロンも、ゲーム機も、何か不具合があった時は父のところへ持って行くとすぐに直してくれた。 小学校1年生の頃、父と近所のおもちゃ屋に行った。 そこにはお猿のおもちゃが500円で売っていた。電池を入れると動く仕組みになっているのに、やけに安く売っているなと思ったらどうやら不良品で動かないため大特価で叩き売っているらしい。 私はそのお猿を甚く気に入り、父に買ってもらった。 数日後、父はそのお猿を会社に連れて行
私は6歳の頃、七五三に向けて髪を伸ばしていた。 幼稚園の日は、母が髪を結ってくれた。母は髪を結ぶのが得意ではなかったと言うが、写真に映る私はいつも可愛らしい髪型をさせてもらっていたと思う。 その日は休日。父と二人で出掛けることになった。 「今日はお父さんが髪を結ぶよ。」 私の記憶の中では父に髪を結ってもらったのはその日が初めてだった気がする。 どのくらい時間が掛かっただろう。母がやってくれるよりは遥かに長い時間が掛かった。 出来上がったのはお団子結びだった。 「やだ!!こ
私は父親が好きだ。 それには、母親が大きく影響している。 母は父のことが大好きだ。 そして父も母のことが大好きだ。 毎晩二人で晩酌をするし、同じ部屋に布団を並べて寝ているし、気が付くとどちらか一方がどちらか一方に纏わり付いている。記念日には二人で旅行にも出掛けている。 私は夫婦というものを彼らしか知らないから、それが普通だと思っていた。 大人になってから両親の話を他所ですると、 「凄いね。うちの両親が触れ合ってるところなんか見たことないよ。」 「るいちゃんのご両親って本
うちの父の最大の欠点は酒癖である。 休肝日など1日たりとも存在しない。休日は昼間から飲む時もある。 父は今までに酒による悪事を何度もしでかしてきた。 父は飲酒によって気が大きくなったり、怒鳴ったり、暴れたりするタイプではないのがまだ救いなのだが、如何せん自損事故が多すぎるのだ。 私が高校3年生の頃のクリスマスの日。父は会社の部下と飲みに行ったので、母と2人で寿司をとって静かな夜を過ごしていた。 日付が変わる少し前、インターホンが鳴った。 母が出たのだが、何やら玄関が騒
「そんな話お父さんにしたら可哀想だよ。」 と、娘を持つ男性に言われたことがある。 「そんな話」というのは所謂‘‘恋バナ’’だ。 私はよく父に恋愛話をする。 自分より人生経験が豊富で、尚且つ私のことを良く知る異性、こんなに都合の良い相手が他にいるだろうか。 私が初めて異性と交際の約束を交わしたのは高校2年生、16歳の頃だ。 彼とは1年生の頃同じクラスだった。バスケ部の彼にマネージャーにならないかと勧誘を受けたのがファーストコンタクトだった。他人をサポートしようとすると蕁麻疹
私の人格形成に大いなる影響を与えた男がいる。 それは兄だ。 兄は2歳年上で、今のところ人生で一番長い時間を共にした人だ。 母は私を産んだ時、 「もう一回産んだかと思った。」 と言うくらい、兄と顔がそっくりだったらしい。 今でも兄とは顔が似ているとよく言われる。 それは、表情だったり顔の筋肉の使い方が同じだからより似ていってしまったのではないかと思う。 私は何でも兄の真似をした。 母曰く、口調も、変顔のレパートリーも、全部兄の真似らしい。 兄が中学生になるまで、私と兄は
私には4歳年上の姉がいる。 私達は顔面も骨格も似ていなければ性格も思考もまるで違う。 本当に同じ血を分けているのか疑わしい程に何もかもが正反対だ。 「るいが同じクラスにいても絶対に仲良くなってなかった」 と姉は言う。私も同感だ。 昔、私は姉に嫌われていた。 姉が就職して家を出るまで、姉が私に笑顔を向ける事はなかったように思う。 それも無理はない。 私は姉のお菓子を盗み食う悪童だった。 当時「カリポリ」というラムネ菓子が姉弟の間で流行ったのだが、私は自分の分を早々に食べてし
2022年6月。 目の不調が気になり眼科に行くと、網膜剥離と診断され手術を受ける事になった。 目薬で治せるくらいの軽いものだと思っていたので医師から「このままじゃ失明するから1週間後には手術を受けて」と告げられた時の衝撃は大きかった。 実は異変はその年の1月頃から感じ始めていた。 しかしその時は横になってスマホを眺めている時のみに異変が起こる状態だった為、あまり問題視していなかった。 それが数ヶ月後、日常生活に支障をきたすくらい視界が歪むようになった。それでも私は痛みが全く
私の家には、高校生になったら自分の弁当は自分で作るというルールがあった。 それは母の、「大人になって料理が出来ないと困るから」という意図の下に施行された。 高校に上がってからの最初の1年間は毎日自分で作っていた。 「作った」といっても母が炊いておいてくれたご飯と、母が買っておいてくれた冷凍食品を詰めるだけ。 これが何の意味も成さなかった事は現在の私の家事力が物語っている。 実はこのルール、姉と私のみに課せられていた。 兄は高校を卒業するまで、母に作ってもらっていたのだ。
決して太っているわけではないのに丸みを感じさせる安心感のあるボディ。愛らしくて大きな瞳。強めの天然パーマ。煙草で嗄れた声。 私は母が愛おしくて堪らない。 父親が好きだという感情については理由を説明できる。 しかし母親が好きだという感情について説明できる理由はない。 何かを与えてくれるから、だとかそういう理屈抜きに存在の全てが愛おしいのが母なのである。 しかし、私にとって母は不可思議な存在である。 父には、両親がいて、4人の姉がいて、父がいる。 そして私がいる。 そう
私の名前はまるいるい。 よく「まるいまる」と間違われるが、「まるいるい」だ。 ORANGE RANGEと同じシステムで覚えて欲しい。 神奈川県横須賀市出身で射手座のO型。 趣味は献血と人狼とマーダーミステリーとオーバークック2。 吉本興業所属の芸人だ。 「まるいるい」という名は2017年の夏、吉本の養成所に通っていた時に 「顔が丸いから「まるいるい」がいいんじゃない?」 と言って母が付けてくれた芸名だ。 母からは人生で2度、名を授かった事になる。 1度目は今から26年前
私は父親のことを頗るうざいと思っている。 こんな理不尽で我儘な存在があるだろうかと。 しかし、私は世界で一番父親を愛している。 2021年、齢23の夏。 当時の交際相手の浮気が原因で同棲解消となり、住所不定になり、行く宛もなく実家に帰った。 「当たって砕け散ってきたら骨拾ってやるよ。中途半端なところで実家帰ってきてんじゃねえよ。」 「痩せて泣いてる場合じゃないんだよ。太って笑ってやれよ。」 この言葉は、彼氏に浮気されたことを報告して、その反応を映した動画をYouTub
私の一夏の恋が終わった。 「一夏の」と言うには少し長引き過ぎな気もするが兎に角、私の恋は幕を閉ざした。 2021年7月。 ネタ作りに行き詰まった私はほぼ面識もなく、当時フォローもしていなかった5期上の先輩芸人にTwitterでDMを送った。 それは、仲の良い同期がよく、その先輩にネタの相談に乗ってもらっているという事を耳にしたからだ。 「突然すみません!ネタのご相談をさせてくれませんか?」 不躾で、とても失礼だったと思うが、その先輩は二つ返事で引き受けてくれた。 その先