まるいるい

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  • まるいの家族エッセイ

    まるいるいの、父親をはじめとした家族の話です。

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思春期でも父のことが大好きだった理由【家族エッセイ】

最近、中学生の娘を持つ男性がこんなことをぼやいていた。 「うちの子、最近口を利いてくれなくなっちゃった。やっと口開いたと思ったら「キモい!臭い!ウザい!」だよ。るいちゃんはお父さんが嫌いな時期あった?」 自分に置き換えて想像してみた。戦慄した。そんな言葉を私が父に投げかけたらどうなることか。 私が父を嫌っていた時期はない。 喧嘩している時以外、父のことは好きだ。 私の父は、恐かった。 怖いというよりは恐ろしかった。言い方を変えると、威厳があった。 父は基本的に明るく剽軽

    • シェアハウス殺人未遂事件

      2021年12月某日。 当時住んでいた都内家賃1万5千円のシェアハウスで殺人未遂事件が起こった。 上京して数年、元々住んでいた家を諸事情で出なければならなくなった。その時の私の全財産は65,503円。なんとか有り金で住める家はないかと探した結果見つけたのがそのシェアハウスだった。 初期費用は59,000円。ギリギリだった。 シェアハウスは4階建てで、私は女性専用フロアの2階に住むことになった。どのフロアにも女性は住んでいたが、専用は2階だけだった。 2階には部屋が3部屋あ

      • 父との徒然なる思いで【家族エッセイ】

        父がセルフで髪を染めた日。 幼い頃の私は父と共に風呂に入った。 横並びになって頭を洗っていると、父がシャワー水栓の上に黒いモコモコの泡をいくつか並べていた。父の行動の意図を知る由もなかった私はそのモコモコを無慈悲にシャワーでザッと洗い流した。 「あっ!!!色の違いを見てたのに!!」 どうやら父は髪を数回洗うことで、染め粉混じりの黒い泡が白に近づいていく様子を面白がっていたらしい。 そんなこととは知らずに勢いよくモコモコを駆逐してしまった。その時の父の悲しそうな顔が20年近

        • デブとかぶたとか

          私は体型を凄く気にしている。 多感だった小学校高学年から中学生にかけて、父と兄に「デブ」だの「ぶた」だの「レスラーみたいなガタイだな」などと散々言われたからだ。 それでも、私の体重は厚生労働省が定めた標準体重と丁度同じであった。見た目は確かに少しふくよかではあったが。 今となれば分かる。可愛さのあまりに戯れたくて、ちょっかいをかけたくて言ってしまっていたということ。 それでもその言葉は最も簡単に私を呪縛した。 当時付けていた日記を読み返しても、「今日は体重が◯キロになってし

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        思春期でも父のことが大好きだった理由【家族エッセイ】

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        • まるいの家族エッセイ
          25本

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          私の家族の悪いところ【家族エッセイ】

          今から綴ることは、私の短所の言い訳である。 私はお世辞を言うことや他人を褒めることが頗る苦手だ。 そして、褒められることも苦手だ。 その原因は育った環境にあると考えている。 私の家族は所謂‘‘イジる’’ことで仲を深めてきてしまった。 「家族」と一括りにしてしまったが、主に父と兄と私だ。 「ブサイクだなー!」 「デブだなー!」 「ハゲだなー!」 これらは常套句である。 (ハゲに関しては父に対してのみ適応される。) 全く時代に即していない不適切な家族なのである。 父はイ

          私の家族の悪いところ【家族エッセイ】

          私の不可解な体験談

          数年前、秋葉原の駅でメキシコ人の小児科医のおじさんを道案内した。その人は「アルフォンソ」と名乗った。お礼をしたいからメールアドレスを教えてくれと言われ、業務用に使っているアドレスを渡すと後日ひらがなだらけのお礼メールが届く。それがなんだか可愛らしくて何通かメールのやり取りをした。 それから1年後、日本人の子供を手術する為に来日すると連絡が。メキシコのお土産を渡したいからと、新宿のベックスコーヒーで会う事になった。 アルフォンソさんは会話も程々に、何やら鞄から小さな小包みを出

          私の不可解な体験談

          親から学ぶ‘‘結婚とは’’【家族エッセイ】

          私の両親は結婚して30年が経っても毎日一緒に寝て、起きて、ご飯を食べて、晩酌をして、また一緒に寝る。時々旅行にも行く。 この先何があるかは分からないが、二人はどちらかが死ぬまでずっと一緒なのだろう。 以前、父の会社の業績が芳しくなかった時があった。 後から聞いた話だが、その頃は父も相当参っていたようで、ある日、会社を畳むことになるかもしれないと母に告げたそうだ。 すると母は 「そうなんだ。じゃあこの家売って吹いたら飛ぶようなアパートに住もうか(笑)私はあなたが居てくれれば

          親から学ぶ‘‘結婚とは’’【家族エッセイ】

          人を叱ったことがない【家族エッセイ】

          あれは4歳とか5歳の記憶だろうか。父親に激しめに叱られて泣きじゃくっていると、「おいで。」と呼ばれて膝の上に乗せられた。 そのあと何を語り掛けられたかは忘れてしまったが、父が優しく頭を撫でてくれたのを覚えている。 大人になってから思い返して、あれはなんだったんだ?飴と鞭ってことか?DV彼氏みたいなこと?などと考えていた。 ある日、SNSをぼーっと眺めていると、「子供を叱るのとフォローは絶対セットで」という文言が目に飛び込んできた。 記事を読んでこれだったのか!!と合点がいっ

          人を叱ったことがない【家族エッセイ】

          父みたいな人とは結婚したくない【家族エッセイ】

          父のことは大好きだけれど、父みたいな人とは結婚したくない。 父の名誉のためにまずは父の、父親として尊敬している部分や好きな部分を挙げてみようと思う。 今から30年程前、男性が積極的に育児をするのは恥ずかしいというような価値観が蔓延していたらしい頃から父は積極的に子供の世話をしていたそうだ。 私が生まれたばかりの頃、母は当時4歳の姉と2歳の兄の面倒をみながら新生児の世話をするのはとても大変だったと思う。父は土日を使って姉と兄を連れてスキーに出掛けた。旅先の旅館では何も言ってい

          父みたいな人とは結婚したくない【家族エッセイ】

          オヤジ狩り【家族エッセイ】

          小学生の頃、父が飲み会に行く度に涙が出そうな気持ちになったことを覚えている。涙が出そうというか、少し泣いていた。 小学校4年生くらいだろうか。 当時テレビドラマが大好きでよく観ていたため、「オヤジ狩り」という言葉を知っていた。 今思えば当時の父は40歳そこそこだったのでそこまでオヤジではなかったかもしれない。 しかし「父親」というだけで当時10年しか生きてない私からしたらすごく年を取っていて、もう若者には力で敵わない存在なのだと思い込んでいたのだ。 だから父が飲みに行き、夜に

          オヤジ狩り【家族エッセイ】

          親の期待に応えられない【家族エッセイ】

          私は自分のことを大切に思うし、大好きだ。 それは両親が幼い頃から私という存在を認めてくれて、愛を注いで育ててくれたからだ。 私は自己肯定感が高い方だと思う。しかし、承認欲求も強いのだ。 その理由は私に成功体験がないからだ。親の期待に応えられた例がないからだ。 私は小学一年生の頃から中学三年生までバスケットボールをやっていた。それなのに金メダルやトロフィーを獲ったことは一度たりともない。 父は私が所属していたミニバスケットボールチームの監督だった。父が私に対して上手くなって

          親の期待に応えられない【家族エッセイ】

          母を泣かせた日【家族エッセイ】

          人生で一度だけ、母を泣かせてしまったことがある。私が年長の頃だ。 兄と共に悪さをして叱られたのだが、叱られてる最中に私たちがケラケラ笑っていたら母が泣いてしまった。なぜ叱られたのかも、その前後のことも何も覚えていないのに、母を泣かせてしまったという事実だけは20年経っても覚えている。 小学校に上がるまで、母の口から「お父さんに電話するよ。」という台詞をよく聞いていた。父の帰りが遅い日は好き勝手ができるフィーバータイムだと思っていたのだ。要するに、母よりも父の方が恐かったため

          母を泣かせた日【家族エッセイ】

          父と陰【家族エッセイ】

          私には物凄く陰口を言っていた時期がある。中学生の頃だ。 今現在も言う時は言うがあの頃は比ではなかった。 私は小学5年生の頃から毎日日記をつけているのだが、中学校に入った途端に愚痴っぽさが顕著に現れている。 その原因は部活動にあった。私の進学した中学校のバスケ部には3年生は一人もおらず、2年生だけだった。その中に経験者は3人しかいなかったので小学生の頃からバスケを習っていた私と幼馴染は入学して早々、スタートメンバーになった。その日から未経験の2年生から陰湿な嫌がらせを受けるよう

          父と陰【家族エッセイ】

          父の教え【家族エッセイ】

          父は日本の食事マナーに厳しかった。 お箸の禁じ手、咀嚼音、立て膝や肘付きなど指摘されることは多かった。 だから大人になってから箸渡しをしてる人たちを目の当たりにした際は、罪人を見るような眼差しを向けてしまった。 しかし、自分の頭でよく考えてみると、どうして箸渡しや、寄せ箸、立て膝などがいけないのかはよく分からなかった。他人に聞かれたらどう答えよう。「箸渡しは亡くなった方の遺骨を拾う動作と同じで縁起が悪いから。」と答えても、「縁起なんて私は気にしません。」と言われたらそれまで

          父の教え【家族エッセイ】

          父の涙【家族エッセイ】

          私の10歳の誕生日に、我が家にうさぎがやってきた。そのうさぎは灰色でもぐらみたいだからと父に「もぐたん」と名付けられた。 長年、犬を飼いたいと里親募集のページを印刷して提出し続ける私と頑なに却下し続ける母とのやりとりを見ていた父が、折衷案として連れて来てくれたのがもぐたんだった。 もぐたんはホーランドロップのメス。ホーランドロップの性格をネットで調べると、「人懐っこく愛嬌がある。活発で好奇心旺盛で寂しがりや。飼い主の後をついてまわる子も珍しくない。うさぎ界の甘えんぼ代表。

          父の涙【家族エッセイ】

          父と痛み【家族エッセイ】

          私の父は異様に痛みに強い。 痛みの感じ方は人それぞれなので、強い弱いの比較が難しいが、それにしても父は異様に強い。 父は若い頃、群発頭痛を発症した。この頭痛は別名「自殺頭痛」と呼ばれており、その痛みのあまり自ら命を絶ってしまう患者もいるそうだ。 私が小学校高学年になる頃まで毎年、決まった季節に父はこの頭痛に襲われていた。その季節が来ると父は夕飯の時間にはベッドに入って時が過ぎるのを待っていた。ある時父の様子を見に行くと片目から大粒の涙が流れていて、父が泣くなんて相当痛いんだ

          父と痛み【家族エッセイ】