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私は母親を知らない

決して太っているわけではないのに丸みを感じさせる安心感のあるボディ。愛らしくて大きな瞳。強めの天然パーマ。煙草で嗄れた声。

私は母が愛おしくて堪らない。

父親が好きだという感情については理由を説明できる。
しかし母親が好きだという感情について説明できる理由はない。

何かを与えてくれるから、だとかそういう理屈抜きに存在の全てが愛おしいのが母なのである。

しかし、私にとって母は不可思議な存在である。

父には、両親がいて、4人の姉がいて、父がいる。
そして私がいる。
そうやってなんとなく先祖との繋がりを感じる。

対して母には肉親がいない。
私の姉弟以外で母と少しでも血が掠っている人間を私はこの目で見た事がない。
言語化するのが難しいが、母の存在が少し奇妙に思えるのだ。

母は母親という存在を知らない。
母の両親、私の祖父母は母が幼い頃に離婚した。
離別した祖母は母が小学生の頃に死亡してしまった。
祖母は統合失調症を患っていた為、その死因が病死なのか自死なのかは娘である母も知らないのだという。

一人っ子の母は父子家庭で育った。
幼い頃から祖父と二人暮らしだった母は家事の全てを1人で行っていた。
定職に就かなかった祖父の元で育った母は金銭面でとても苦労した。
高等学校の学費も中学校の先生が支援してくれたそうだ。
母が高校生になり、やっと自分でアルバイトをしてお金を稼ぐことが出来るようになると、祖父は母のアルバイト先にやって来てお金を無心しに来る事があったそうだ。

自身の将来を不安に思うあまり、母は精神的に参ってしまい、記憶のない期間があるという。

母という存在をこの世に生み出してくれた人だから悪くは言いたくないが、親なのだからどんな時も母を守る存在であって欲しかった。
それでも母は、「どれだけ嫌いでも、憎たらしくても、自分と血が繋がっている唯一の肉親だから離れることは簡単じゃなかったんだよ。」と話す。
私には理解が出来なくてもどかしい。

そんな母が見つけた一筋の光が、後に私の父となる男である。

父と母が結婚し、姉と兄が生まれた。
そして私が生まれる数週間前の事。
私をお腹に宿した母は兄の手を引いて一人暮らしをしている祖父の家を訪ねた。
家に居るはずだが、何度ノックをしても祖父が出てくる事はなかった。鍵がかかっていないドアを開けると、盛り上がった布団が目に入った。
不穏な空気を感じながらも近付いてみると、そこには真っ黒い顔面をした祖父が横たわっていた。

絶命していた。肝硬変だった。
母は咄嗟に掌で幼い兄の視界を遮った。

兄を家から出し、警察に連絡するべく携帯電話を手に取った。
「110」
そのたった3つの数字すらも浮かばなくなる程母は動転していた。

そんな壮絶な母の過去の話を聞いても、現実味がなく思えるのは私が生温い世界で甘ったれて生きているからだろうか。

私は二十歳になる年まで母と同じ家で暮らしていた。
しかし、20年という時を共にしても、母という人間を理解する事は出来なかった。
根本の考え方や性格が私とはまるで違ったからだ。

私は自分に好意を向けてくれる相手にはすぐに心を開きがちだが、母は中々他人に心を開かない。娘である私ですら危うい。
私は人と対峙する時とにかく笑顔でいればなんとかなると思っているが、母は初対面の人に笑顔を見せるどころか怒っているという印象を与える。

初めて出来た彼氏を両親に会わせた時、彼は父より母の方を恐れていた。
父は朗らかな笑顔を浮かべ、彼を気に入った様子だったが、母は表情に出さない為思考が読めず、恐ろしかったのだろう。

そんな母だが、2年間交際したその彼と私がお別れした時、誰よりも悲しみ、寂しがり、涙していた。私に次の恋人が出来ても、母はまだ彼の事を引き摺っていた。
家族の誰より人情深いのは母なのかもしれない。

母は過干渉とは真逆の人だ。「産み落としたら他人だよ。」と言う。
冷たい言い方のようだが、母は私達子供を自分自身とは違う一人の人間だと尊重してくれている。

母に褒められた記憶もない。
かと言って手厳しかったわけではない。母は褒め方を知らないのだ。

母の愛を感じる出来事もある。
私は中学生の頃バスケ部に所属していた。ユニフォームがタンクトップだったから試合中、容易に脇が他人に見えてしまう。私は男性ホルモンが強めなのか、脇の体毛が硬く、濃く、広範囲に生息していた。
その為、試合でユニフォームを着るのが嫌だった。
母はそんな私の悩みに気が付き、皮膚科に連れて行き、脇の脱毛をさせてくれた。当時は今より金額も安くはなかった。
母は思春期の娘の気持ちに寄り添ってくれる優しい人だ。

私が不安な時、1番に察してくれるのは母だった。
高校を卒業した次の月、私は社会人になったので入社式があった。
私は門出の度に不安を抱く性格だ。
早朝であったから両親を起こさぬようこっそり家を発とうと思ったのだが、母がのっそり起きてきて、玄関先まで見送ってくれた。

「頑張ってね。」
それが入社式のことなのかこれからの社会人生活のことなのか分からなかったが、母からの激励に感じた。
一方で父は大きな鼾をかいて爆睡をこいていた。薄情な男だと思った。

それから時が経ち、芸人になる為に吉本の養成所に行く事を決めた時、父には反対された。
人前が苦手なお前に芸人が向いているとは思えない、どうして一番不得意な事をやろうとするのだ、と。

悔しかった。悔しいが、反論は出来なかった。
後には退けない不安、未知の世界に飛び込む恐怖、それでもやってみなければ分からないという好奇心、自分には出来るはずだという自信、それらが心の中で渦巻いていた。
不貞腐れながら歯を磨いていると洗面所に来た母が
「母ちゃんには愚痴ってもいいから、頑張ってみな。」
と言った。
心が痒くなった。
母のそのたった一言が心強かった。

普段私に興味関心がなさそうな顔をしているけれど、ここぞという時に支えてくれるのはいつも母だった。

私の人生の最大の目標は、母のような母になることだ。

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