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父との徒然なる思いで【家族エッセイ】

父がセルフで髪を染めた日。
幼い頃の私は父と共に風呂に入った。
横並びになって頭を洗っていると、父がシャワー水栓の上に黒いモコモコの泡をいくつか並べていた。父の行動の意図を知る由もなかった私はそのモコモコを無慈悲にシャワーでザッと洗い流した。

「あっ!!!色の違いを見てたのに!!」

どうやら父は髪を数回洗うことで、染め粉混じりの黒い泡が白に近づいていく様子を面白がっていたらしい。
そんなこととは知らずに勢いよくモコモコを駆逐してしまった。その時の父の悲しそうな顔が20年近く経った今でも忘れられない。

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日曜の昼。習い事のミニバスケットボールを終えて帰宅し、父と昼食を摂っていると、その晩に放送される特番の番宣が流れてきた。エジプトのミイラを追究する番組だった。

「面白そう。」
「面白そうだね。」

二人の興味が一致したので、夜はそれを観ることになった。
家族で夕飯を摂り終えた21時。
リビングの隣にある両親の寝室で父と二人でその特番を見始めた。2時間の特番だったのだが、序盤の放送はミイラについてではなく他の話題だった。
しばらく黙って番組を観ていると、けたたましい雑音が鼓膜を揺らした。
父の鼾だ。
テレビは聞こえづらくなったが慣れっこだった私は特に音量を上げることなくそのまま視聴を続けた。
その内にミイラの特集が始まったので、

「父ちゃん!ミイラ始まったよ!!」

と父を揺らして起こすと、

「なんだよ!寝てんのに!!」

と怒られた。
腑に落ちない。
これを観るために私たちは集まったのではないのか?
不貞腐れかけていると、

「ごめんね。起こしてくれたんだよね。ありがとうね。」

と我に返った父に宥められた。
父に怒られた時と、謝られた時。
その時の感情が15年近く経った今でも忘れられない。

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私が小学5年生の頃、父は鼻の骨を取る手術を受けた。父は鼾が酷すぎるために病院にかかっており、鼾の原因は鼻中隔が湾曲していることなのではないかとの診断を受け、曲がった鼻中隔を摘出することになったのだ。
父が手術のために入院した日の夜、私は日記を書きながら一人号泣した。手術に失敗して、父がこのまま還ってこなかったらどうしよう。今日病院へ送り出したことを一生後悔するのではないか。一度考え出したら止まらなかった。

次の日、手術が無事に終わったとの報告を受けて安堵した。
術後、全身麻酔の影響で意識も表情もはっきりとしていない父の鼻に赤くなったガーゼが詰め込まれているところが写された写真を母に見せてもらった。何故か父の顔はパンパンだった。
(こんなになっちゃって…可哀想に…)
涙が出るかと思いきや、父があまりにもブスで大笑いしてしまった。

結局、鼻中隔を除去しても父の鼾は治らなかった。
しかし、左右の鼻腔を隔てるものがなくなったため、尋常じゃないサイズのハナクソが出るようになってとてもスッキリするので後悔はしていないらしい。

後の検査で判明した父の鼾の所以は睡眠時無呼吸症候群だった。現在はCPAP(シーパップ:持続陽圧呼吸療法)とは、機械で圧力をかけた空気を鼻から気道(空気の通り道)に送り込み、気道を広げて睡眠中の無呼吸を防止する治療法※出典:日本呼吸器学会)を装着して眠るので鼾をかくことはなくなった。

あの夜の、父がこのまま帰ってこなかったらどうしようという不安な気持ちは何年経っても忘れられない。

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