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暇な人、病む前に読んでほしい。

暇は人を殺す。

スケジュールの話ではなく、あくまで気持ちの面での暇。
何かをしていても、その物事に集中することができず、心ここにあらずになっている時は、結局暇と同じ状況である。
暇だと人間は考える、しかもしょうもない事、どうにもできない事、考える時間が無駄な事ばかり考える。
考える、というより湧き出てくるに近い。

私の底から湧き出てきた事は、非常にしょうもなく、自分ではどうにもできない事しかなかった。

例えば
・空腹で死んだらどうしよう
・二日酔いで死んだらどうしよう
・通り魔に刺されて死んだらどうしよう
・ヘアアイロンの電源切り忘れて火事で死んだらどうしよう
・薬の飲み合わせが悪くて死んだらどうしよう
・さっき食べた豚肉に実は火が通ってなくて死んだらどうしよう

もうここまで来ると自分に希死念慮があるのでは?と思うくらいに死について考えている。
空腹なら食えよ、豚肉はちゃんと焼けよとしか言いようがない。
そして、死んだ後の事をどうしようか考えてる事も図々しくて情けない。
死んだらもうどうにもできないのに。
気付けば何を考えていても、死に辿り着いて終わるという謎現象が多発。

そんなよくわからない現象に頭を支配され、また暇になったらどうしよう、また良くない事を考えてしまうと怯える毎日を送っていたわけだが。

2ヶ月程続いたある日、ついに私はうつと診断された。

今思えば色々とうつの症状は出ていたのだが、まぁそんな日もあるよね~と受け流し、病院に行くことはなかった。
我慢さえすれば毎日生きていける、と。

ただそんな私にも我慢できない、受け流せない事が起こった。

いろんな面で自分の感情が薄れ始めていることはなんとなく理解していた。
今まで楽しいと思っていた事も楽しめなくなり、映画を観ても、音楽を聴いても、自分の感情が動くことがなかった。
でもそれは我慢すればいい、いつか元に戻る日が来ると思って受け流せていた。

しかしある日、大好きなたこ焼き屋さんのたこ焼きを食べた時、味がしなかった。
もちろん味覚的な味はある、だが美味しいという感情が欠落している事に気が付いた。
今、たこ焼きを食べている…?くらいの認識になっていたのである。

これは許せない、絶対に受け流してはいけないし、絶対に我慢してはいけない、この時初めて自分がまずい事になっていると実感した。
あ、味ではなく状況が。

病院に行くと、あっけなくうつと診断された。
軽度のうつ。
まだ自力で生活ができていたので、自分ではうつとも思っていなかったし、今後も悪化して生活ができなくなるのでは?と心配することもなかった。
けれどそれは自分の無知な思い込みで、あと少しでも我慢していたら取返しのつかない事になっていたかもしれない、だから初期の段階で気づけて良かったです、と先生は言ってくれた。
私の食い意地が功を奏したのである。

先生はとても親身になって話を聞いてくれて、【たこ焼きの味がしなくて辛い】とカルテにメモも取ってくれた。
これからも先生は私の診察をする度に、「あ、この人はたこ焼きの味がしなくて辛い人だ」と思うし、私はたこ焼きを食べる度にあのカルテの殴り書きを思い出すことだろう。

診断されたからには治療するしかないので。
自分にゲロ甘赤ちゃんな私には食生活、環境の改善などの治療法は無理すぎたので、今は投薬治療を行って落ち着いている。

暇な時に変な感情に支配されて発狂しそうになったり、何もしていないのに悲しくて不安で涙が出たり、そんな事はなくなったけど、正直なところ、能動的な趣味を楽しめる程回復しているわけではない。

それでも本を読んだり、映画を観たり、受動的な趣味は楽しめるようになるまで回復した。
投薬治療に関しては賛否両論あると思うが、私はこんなに楽に生きれるなら飲みます飲みます~と言った感じ。

今思えば、私は割と能動的に生きていたのかもしれない。
だから何かに対して自分から働きかける意欲が一つずつ失われる事が怖かったし、受動的な生き方がわからなくて不安だったのかもしれない、と。

私と同じように能動的に生きているおらワクワクすっぞタイプの人が、もし何かにつまずいて不安に支配されそうになったら、それは受動的な生き方を知るチャンスなのだと思って受け入れてほしい、私のようにうつにならないでほしい。
受動的でもワクワクすっぞ。

そして、少しでもしんどいと感じた時は、美味しい物を食べてみてほしい。
高価な物じゃなくていいし、大好物じゃなくてもいい、どちらかと言えば、いつ食べても美味しいを確信している揺るぎない味の物がいい。
自分で自分の機嫌を取る為ではなく、自分の今の状況を知る為に。

たこ焼きはいいぞ、なんたって美味しい。


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