窓の外
景色が走っていく。近くのものは速く、遠くのものはのんびりと。列車に揺られながら、進行方向に対して直角に目線を向けると、外の世界が目に飛び込んでくる。
金属とコンクリートを組み合わせて建てられたマンション。かつては住人のゆりかごとして機能していたであろうそれは、今ではただの地形の一部と化してしまっていた。側面がえぐるように削られ、内部の階層構造が露出している。ほとんどの窓が割れており、成長期の乳歯のようにガラスを残して口を開けていた。
道路には自動車がまばらに停まっていた。乗り捨てられているのかもしれないし、人が乗ったまま動けなくなったものもあるだろう。フレームがひしゃげ、タイヤはパンクし、オイルを体外に漏らしている様子は叩き潰された蚊のように痛々しかった。
「私、窓の外を見るのが好きだったんだ」
あなたは窓の向こうから目を逸らさない。立っているときは私より背が高いのに、座ると目線が同じになる。だから私は、座って話しているときの方が好きだった。窓の外ばかり見ていないで、私の方を見てくれたっていいのに。私は不満を募らせるが、それがわがままでしかないということにも気づいている。花は鑑賞者のために咲いているわけではない。
「こんな景色を見て、何が楽しいんだ?」
言っている意味がよく分からず、私は顔を傾けながら問う。顔の動きにあわせて景色も傾く、なんてことにはならない。顔が斜めになっても視界はさっきまでと変わらない。人体の不思議と言うやつだ。そして目の前にいるのは、不思議な人間だ。
「だから、好き『だった』んだって」
「今は好きじゃないのか?」
「こんな景色を見て、何が楽しいの?」
同じ言葉を返されてしまい、喉がきゅっと音を立てる。
「なんで好きだったんだ?」
「自分の身体は安全な部屋の中にあるのに、私の身体は頑丈なガラスで守られている。そこから安心して外の世界を楽しめるから……かな」
あなたはそう言って、照れくさそうに目を細めて頬をかく。
「……なんとなく分かる。風が強い日に窓の外を見るの、好きだった」
「そうでしょ?共感してもらえてよかった」
まだ都市が機能していたときは、室内にいればほとんどの災害を乗り越えることが出来た。今ではもう、ちょっとした大雨ですら私たちの命を脅かすというのに。私たちは、大地にこびりついた小さな汚れでしかないのかもしれない。
「ここの窓も、みんな割れちゃってるね」
そう言いながらあなたは、窓枠にかすかに残るガラス片へと、指を近付ける。ぞわりと全身の毛が逆立ったような気がした。
「あぶないって!」
あなたの指がびくりと跳ねる。その動きによって、破片と皮膚が交差してしまいそうだった。
「大丈夫だよ、心配性だなぁ」
「まったく……」
私が過保護過ぎるのだろうか。目に付いたものに手を近付け、変わったものがあればそちらへ歩いていく。そんなあなたは子供みたいで、だからこそ、この子供らしさを守らなければと思った。
「風、気持ちいい」
「そうだな」
列車が速度を落とし始めた。少しの間だったが、この列車には世話になった。徒歩では考えられない距離を、一瞬で移動できる。改めて、とんでもない技術だと思った。
「窓が無いっていうのも、悪くないのかもね」
「危なくて仕方ない」
残された電気を使った最後の運航。乗客は私たち二人だけ。それが終わろうとしている。慣性力と摩擦力が競い合う。どちらが勝つかなんて、火を見るより明らかだった。
「危ないときはほら、君が助けてくれるじゃん」
「私だっていつも隣にいるわけじゃないんだ」
私がいなくても、一人で生きていける力を身に付けて欲しい。いつもそう思っている。
「隣にいるよ、あなたは。ずっと私の隣にいる」
確信めいた声色。有無を言わせない迫力を感じた。
「最期の時まで、ずっと一緒だよ」
列車の足元から空気が押し出され、あなたの最後の言葉は掻き消えた。聞き返そうとしたが、もう口を開くつもりは無いようだった。自動扉が開き、車内の照明が一斉に落ちる。この列車はこれで終わりだ。二度と走ることはない。あとは大地に飲み込まれていくだけだ。
先程まで鳴っていた機械音が、潮のように引いていく。入れ替わるように、静寂の波が押し寄せてくる。波は、私の心を激しく打った。終わりへ向かって、私たちは歩き出す。
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