列車人間・飛行機人間・車人間
人生のレールから外れずに生きていける人は、一体何人いるのだろうか。小中高全て真面目に通い、「良い大学」に行き「良い会社」に勤める。「普通」に結婚して、「普通」に子供を作り、やはり「良い学校」に入れる。この先には老後も待っているが、これより先を考えるのは、今は止めておこう。
ここまで読んでみて、あなたはどう感じただろうか。年齢によっても立場によっても、感じ方は様々だろう。特に違和感もなく読み飛ばした人がいるかもしれない。我が子の将来のことを考えて、胸を痛める人もいるかもしれない。自分がこれから生きていく姿を想像して、奮い立つ人もいるかもしれないし、もう沢山だと両手を上げる人もいるだろう。
人生はレールによって例えられる。例えば大学受験に失敗すれば、レールから外れたと言われる。あるしは、その人自身がそう自分を分析する。
レールに乗ったり外れたりするものは何だろうか。それは列車だ。トロッコなどもあるが、一般の人が日常生活で見かけるのは列車なので、こちらで話を進めていく。
レールに乗って生きている人、あるいはレールを人生の指標として生きている人たちのことを、列車人間と呼ぶことにしよう。列車人間が動ける範囲は限られている。レールの上しか走ることが出来ないのだから、当然ではある。しかし、早い。そして道に迷う心配がない。アクセルとブレーキを、つまり努力と休息さえきちんと使いこなすことが出来れば、迷い無く進んでいくことができる。
そんな列車人間に対して、飛行機人間という人たちもいる。起業家やフリーランスの人たちがここに分類される。「自由」や「好きなことで生きていく」が飛行機人間の合言葉だ。
自由な挙動と速度を合わせ持った、凄い人間だ。大空を自由に飛び回る姿は、地上を走る人間たちを魅了する。飛行機人間は、自ら進みたい方向を選択し、空気抵抗と重力に抗いながら前進していく。
列車と違って、飛行機は危険だ。ほんの一瞬の油断が、命取りになる(もちろん列車の運転も油断は出来ない。運転手さんいつもありがとうございます)。空高く飛び、雲の上まで出てしまうと、自分が地面に対して平行でいるのか、いないのか、分からなくなってしまう。頼れるのは己だけ、計器に表示される数字だけだ。藁にもすがる思いで、眼下に広がる雲海に沿って飛行してしまう飛行機人間もいる。しかしそれは悪手でしかなく、たちまちバランスを崩して墜落してしまう。
飛行機の操縦はとにかく難しいのだ。自由にはリスクとそれを負う責任がのし掛かってくる。
列車も飛行機も、どちらも一長一短だ。より輝かしいのは飛行機人間かもしれない。何より飛行機人間はアピール力に優れている。自分が空を飛ぶ姿を見せて、それを商売にすることだってある。「あなたにも翼はありますよ。あの空を目指しましょう」というわけだ。ただし、飛行機人間は保険会社ではないから注意が必要だ。
レールの上を走ることに疲れてしまった列車人間は飛行機になろうとする。もちろん中には、本当は飛行機人間なのにレールの上を走って、翼をあちこちにぶつけて傷付いていた人だっているだろう。だが、列車人間がみんな飛行機人間になれるわけではない。別に優劣などないのだ。飛行機の方が早くて便利だからといって、この世界から列車が無くなって飛行機だけになったらどうだろうか。社会は成り立たないだろう。
役割の違いはあれども、価値の違いはないのだから。
最後に、列車でも飛行機でもない、車人間という生き方を見てみよう。車人間は道路という制限があるが、それでも多少の自由はある。無茶をすれば道ではないところだって乗り越えられる。道を間違えたら、ちょっと遠回りをして復帰すればよい。その過程で、もっと魅力的な目的地が見付かるかもしれない。
車人間は、列車人間や飛行機人間に比べたら遅い。しかし、事故が起こっても死ぬ確率は低い。列車が事故を起こせば大惨事だ。特にレールから外れてしまえば、復旧に膨大な時間がかかる。飛行機だってそうだ。一度墜ちてしまえば、もう空を目指すことは難しいだろう。
車人間には、比較的多くの人がなることができる。列車や飛行機は、ハードルの高さが段違いだ。道に従いながら、時に自分の意思で寄り道をしながら、自分らしい走り方というものを身に付けていく。
ルールは厳しい。間違ったことをすれば捕まえられる。不自由の中で、最大限の自由を引き出していく。それもまた楽しいのではないだろうか。
車人間ばかり贔屓しているのではないか。という読者の声が聞こえてくる。その通りだ。一番魅力的なものを批判し、一番魅力のないものに誇大広告を張り付ける。
これが筆者の思う平等であり、これが筆者の行う正義である。
とにかく、列車・飛行機・車、どの生き方にも向き不向きはある。長所を見れば羨ましいし、短所を見れば避けたくなる。当たり前だし、わざわざ文章にすることでもない。だが、人生に対して真剣に向き合っていると、視野が狭くなってしまうのだ。そうなると、自分が見ているものが全てであるかのように感じてしまう。
それが一番危険なことなのだ。自分がこれからどの生き方をしたいのか、自分は今どの生き方をしているのか。振り返ってみる日があってもいいのではないだろうか。ずっと進み続けていたら壊れてしまう。これは列車だろうと飛行機だろうと車だろうと変わらない真理だ。