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「学校にいけない」を読んで〜不登校になってから母がやったこと

今朝も新聞を開くと、昨日の続きの記事が載っていました。不登校になった子どもに、親がつい強い口調で咎めてしまったり、頑張れと言いすぎてしまったというものです。

前回の投稿にも書きましたが、コロナがきっかけではないものの、息子は不登校経験者。最初のうちは、私は仕事の前に、学校まで付き添って、門をくぐるのを見届けてから、出社するというものを繰り返していました。息子も私も、必死です。しかし、そこの高校には変わったルールがあり、保健室の滞在時間は、なぜか1時間まで。改善しなければ、問答無用で教室に戻されるか、帰宅させられます。息子は、投稿しても体調が落ち着く前に、保健室から出されることが繰り返され、教室に戻れない日は、トイレに隠れて過ごすようになっていました。

スクールカウンセラーの先生にもお世話になりましたが、状況が良くなる気配は全くなく、そのスクールカウンセラーの先生に、一度学校をお休みさせることを提案されました。息子も私も、学校は行かなくてはと思っていましたが、ここまで悪化して命を落とされてはと考え直し、翌日から学校をお休みすることになりました。それが、不登校の始まりです。学校行事がきっかけで、ふと通えるようになるかもしれないからと、担任の先生とも相談しながら、課外授業の時は、行ってみたりしましたが、再びその学校に登校できる日は、ありませんでした。

さて、ここからが本題。不登校になってから、私、母親がやったこと。
①息子が今やってみたい楽しいことを聞き出す
②楽しいことをやるために、環境を整える手伝いをする
③絶対にしたくない・そうなりたくないことを聞き出し、対策を考える
の3点です。

《①息子が今やってみたい楽しいことを聞き出す》
不登校になってから、少しでも前向きになることをさせようと、何かやりたいことはないか、何度となく聞いてみました。強制ではなく、折角のお休み中、楽しいことをやろうという感じで。すると、「カラオケに行きたい」、「作曲してみたい」と、ポツポツと話してくれました。

《②楽しいことをやるために、環境を整える手伝いをする》
それならと、早速、歌の教室行ってみない?と誘い、歌を個人レッスンしれくれる近所の教室に連れて行きました。教室の先生には、諸々の事情も話した上で、月に2回だけですが、通うことになりました。

早朝カラオケにも付き合いました。制服を着た高校生らしき子どもを横目で見て、ため息を吐きそうになるのをグッとこらえて、気持ちが済むまで、歌に付き合いました。

また、作曲するためにパソコンを買いたいと、話してくれましたが、流石に高価なものは直ぐには買えません。しかし、息子は今まで貯めたお年玉から出してもいいから、買い物に付き合ってほしいと。パソコンと、作曲するためのソフトを買い込み、自宅で作曲活動も始めるようになりました(参考:iPhoneなどのスマートフォンでも、今では簡単に作曲できるようなので、パソコンを買わなくても、やってみることはできます)。

《③絶対にしたくない・そうなりたくないことを聞き出し、対策を考える》
並行して、絶対にしたくない、そうなりたくないことを聞きました。すると、「同級生と卒業年次がずれてしまうことは、絶対に避けたい」とのこと。それならと、通信制高校の説明会に私一人で参加したり、資料を取り寄せたりして、すぐに転入できるように準備を進めました。高校の担任の先生と退学時期を調整しながら(退学後に期間をあけて再入学すると、高校の在籍期間が足りなくなってしまうためです。前述の記事をご参照ください)、通信制高校へ転入したのです。
※退学した後から、期間を開けて再度別の高校に再入学する場合は「編入」、期間を開けずに再入学する場合は「転入」と区別されています。

その後、息子は転入先の通信制高校で、体調が少しずつ改善。高校2年の冬には、退学した時期に通い出した歌の教室の先生の勧めもあり、大学に興味を持ち始め、いろいろなご縁で、新たな進学先まで決まってしまいました。何がきっかけになるか、本当に分からないものです。

家庭の事情によって、忙しいからと、なかなか向き合うことが難しいこともあるかもしれません。でも、何を優先すべきかをよく考え直し、少しでも楽しく感じるものは何かないか、絶対に譲れないことは何か、聞き出すことによって、息子のように、変わることがあるかもしれません。

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