学びのヒントをくれた先生
「勉強する意味がわからない」「勉強して意味あるの?」「勉強必要ですか?」など、これまで色々な意見を頂いてきました。
自分はこれまでの経験から、難しい勉強はあっても、苦しい勉強は無かったと思っています。それは、出会えた先生から、ヒントを得ることができたからだと感じています。
「人は歩いている途中で、落ちているものを拾いながら生きているにすぎない」と、ある歴史上の人物が仰っていました。だからこそ、それを判断する力を幅広く身につける作業が必要なんだと感じています。
その作業を習うために先生がいるといつも思います。語学が趣味にできるまでになった背景にも、学習ではなく「楽習」を教えてくれた先生の存在があります。「今は君たちに嫌われても、数十年後に○○先生がいて良かったと、言って貰えたらそれで良い。だから、今は自分を信じてこの教えについてきて欲しい」と言う台詞は、学生時代を通じ、教える側で過ごす時間でも支えにもなりました。
実際、スポーツは苦手でしたが、先生の「楽習」に関するヒントと出会い、興味を持ったスポーツの習得で活かすことで、スポーツも好きになれました。
「勉強と学習は違うよ」と、これまで教えてきた生徒にも伝えてきました。どう違うかは長くなるので割愛しますが、「先生がいて良かった」と思える方々に共通する要素を整理して考えてみると、ポイントになったのは「楽習」でした。
「そんなに勉強していて苦しくないか」とも言われたりしましたが、そもそも勉強は、学問だけの話ではないと考えているので、苦しいか否かは考えたこともありません。ただ、記憶に留まる先人から教わった経験で、学びを積み重ねる作業を続けることを楽しんでいるだけです。そして、必要な人に伝え、ともに考え、実践することを学生以降の目標としています。
先生の大切なメッセージ、発見できた経験にいつも感謝しています。
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