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♯3 なるべく薬と疎遠な状態で生きたい



薬が嫌いすぎて、溶かしてなくそうとした


元来薬を飲むのが嫌いな性分だ。

必ず薬を渡されるから、という理由で幼少期は病院に行きたがらなかった。
何の効果があるか知らないが、風邪の症状が出る度に薄橙色の粉末薬をもらっていたのを覚えている。

その薬は当時の私にとってあまりにも苦く、水に溶かして飲んだことにしてしまおうと思い立ったが、母に気付かれ元の薬の何倍もの容量になった苦汁を飲み干さねばならなかった。

私が薬嫌いな理由

1.自己肯定感が下がる

心配性の夫は、不調でも薬を飲みたがらない私に不満の眼差しを浴びせる。

仕方がないので、しぶしぶ病院・薬局に行くことになる。

薬を処方されると、このような人工物を摂取しなければ普通の人間として生きていけない存在なのだと烙印を押された気になるのだ。

この気分は、SNSで自らの顔を加工することに慣れた若者が憂鬱になる感覚に似ていると思う。

化粧品の広告にも「フィルターをかけたような」という表現が多用され、顔のパーツを自然と整っているかのような配置にするアプリは枚挙に暇がない。

フィルターを適用した自分の顔と、本来の自分の顔を見たとき、理想と現実を否応なしに比較することになる。また、他者の投稿もフィルターを適用したものばかりだと美男美女の渋滞を見ることになり、加工なしの写真は投稿できないし、本来の自分のままでは受け入れられない存在なのだと感じる。そうして過度な整形手術をしたり、他人から見れば何ともないような顔の造形を気にしてひどく落ち込んだりする人がいるらしい。

SNSの沼にはまる若者は「フィルターが無ければ欠陥品の自分になる」と感じ、薬を処方された私は「薬を摂取しなければ欠陥品の私ということか?」と感じるのだ。

2.不調の原因を解決できない薬は無意味だと思う

そもそも、病院で受け取る薬が対症療法であることが気に食わない。

頭痛薬を飲んで痛みが無くなったとしても、頭痛の原因となった低気圧とか、職場の業務量とか、家庭不和は解決していない。

いったん症状が改善しても、不調の根本を直さなければまた不調が繰り返され、同じ薬を処方されることになる。

こういう、薬ありきの日常になることを私は恐れているのだ。

「頭が痛くても頭痛薬を飲めばいい」と安直に薬を使用するのは、問題を先送りにし、人生の停滞を招く行動ではなかろうか。

夫にも薬嫌いの片鱗を理解してほしい


私が薬嫌いな理由を書き連ねたが、本当はもっとある気がする。

しかし、説得力をもって言語化しようと思うとこの文量である。

夫をはじめとする、体調が悪くなったらとにかく薬を飲め!という薬信者に、私のような薬嫌いの気持ちを少しでも察してもらえるなら、少しばかり嬉しい。


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