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長編小説3

 私には苦手なものなんてない。中学生の私は無敵だった。誰に媚びる必要もない。スポーツも勉強も友人関係も何一つ困ることはなかった。男子たちはみんな情けないし、先生は信用なんかできない。私は自分を一番信じてきた。

「トモちゃん、描くの早いよね」
「ヨリが遅いんだって」
「……やっぱり?トモちゃんの下絵は線に迷いなくていいよね」

 私なんてほら、と言って見せてきたヨリの下絵にはガタガタの鉛筆の線。何を書くのか迷いに迷ったのか何度も消した後がうっすら見えた。一緒に入った美術部だけれどヨリはいつも自信なさそうに描いている。入部の時も散々悩んでたけど、今でも本当にいっつも頼りないんだから。頼りないのヨリ。いつからそんな意味で呼ぶようになったんだっけ。本人もあんまり気にしてなさそうなところが本当にヨリって感じで、時々ほんの少しだけイラつくこともある。
 入部して初めて描いたヨリの絵は、今でも覚えている。淡い色使いで描いた夕陽の河川敷の絵だった。強い黄色でひまわり畑を描いた私とは真逆で、ほんの少しだけヨリのことが羨ましく感じたんだ。

「私なんて、って気持ちで書くからでしょ」

そう言って自分のキャンパスへまた迷いない線を描いていく。いいんだ。私はこれでいいんだ。私はヨリと違う。自信があった。

「だから笠原さんは優しい絵になるんだね」

 そう言って口を挟んできたのは部長の佐々木先輩。部長と言ってもこの部は私とヨリと部長の三人しかいない。さすが不人気ナンバーワンの美術部だ。佐々木先輩は部活中はあまり話さない。だからここに入って半年経つ今もあんまり先輩のことは知らない。

「あ、ありがとうございます」
「僕はいいと思うよ」

ヨリが真っ赤になってお礼を言っているのを見てモヤっと心が陰る。なんだよ。私の絵は褒めてくれたことないのに。

「先輩、私の絵はどう思います?」
「……雪平さんの絵は、力強いんだけど見下されているような怖さがあるよね」
「は?」
「うん、でも、悪くはないから」

 私の方も見ないで慌ててそう言うとまた自分の席に戻って黙々と描き始めた。「なんだよ」と思いながら私も自分の絵に向かう。続きを描こうと全体を見直すとなんだか違和感が出る。こんな絵じゃダメかもしれない。そう思うと今までまっすぐ描いてた線がゆらゆらと揺れる。今まで、どう描いていたっけ。次はどこをどうやって描こうと思っていたんだっけ。

「トモちゃん?トモちゃん!」

ヨリの声でハッと我に帰る。鉛筆を握っていた手は汗でびっしょりだった。

「トモちゃん大丈夫?ぼーっとしてたけど……」
「ごめんごめん。なんか調子悪いから今日は帰ろうかな」
「……大丈夫?」
「うん。ヨリは気にせず描いてて」
「いや、私も帰るよ」
「え、いいって。まだ下校に時間あるしヨリは描いてなよ」
「だってトモちゃんが」
「……しつこいな!!私がいないと何もできないのかよ!!」

 縋るような視線と目が合う。時間が止まったかのようにヨリは固まって、私はその間に逃げるように部室を出た。

 帰り道はずっと走っていた。家の方向じゃないのも気にせず、走りっぱなしだった。久しぶりにこんなに長く走ったかもしれない。小さな頃は徒競走だっていつも上位だった。走るのは得意だ。でも好きなわけじゃない。苦しいのは嫌いだ。最近はヨリとずっといたから走ることなんてなかった。ヨリのゆっくりのペースで歩くのは心地よかったんだ。心臓が跳ねるように動いている。苦しい。それでも足を止められない。

 気付いたら河川敷にきていた。そういえばヨリもここの絵描いていたっけ。私はここを描こうとは思わないけれど、万が一描いたらヨリみたいな優しい絵を描けたのだろうか。大きな溜息をついて、河川敷に降りる途中の階段に腰を下ろす。

「ヨリ、流石に怒ったよね……」

 佐々木先輩の言葉を思い出す。確かに私はヨリのことを見下していたのかもしれない。小学校時代にはこんなことなかった。中学校に入るとテストも運動も順番をつけられる。何をやっても私の方が上だったから、自然とヨリのことを下にみてしまったのかもしれない。ヨリは、親友だ。でもそれを私が壊してしまった。いや、元々ちゃんとした親友にもなれていなかったのかもしれない。二人が大好きな絵で優劣をつけようとしてしまった自分が恥ずかしくて、穴があったら入りたいくらいだ。

 ゆっくりと太陽が西へ沈み始めた。少し肌寒い風が吹くと、心に寂しさが宿る。

「トモちゃん?」

 不意に名前を呼ばれて振り向くと、田舎の河川敷には似合わない綺麗なワンピースを着た女性が立っていた。目があうと安心したようにこちらに駆け寄って、スカートが汚れるのも気にせず隣に腰掛けてくる。

「トモちゃんだよね?良かったー。いたいた。もー!心配したんだから」
「あの、どなた……」
「あれ!ヨリちゃんから聞いたことない?私、京子って言ってヨリちゃんの伯母なの」

居候中なんだけどねー、と明るく言いながらスマホを早打ちしていく。そういえばちょうど入部の頃から伯母さんが家に来たって話してたっけ。滅多に家族の話をしないヨリが嬉しそうだったけど、こんな強烈な人が来ていたのか。

「……キョウちゃん……?」
「大正解!ヨリちゃんが血相かえて帰って来たから何かと思ったのよ。そしたらトモちゃんが家に帰ってないって」
「……」
「体調悪くて、先に帰ったのに倒れたんじゃないかって心配してたよ」
「……ごめんなさい」
「いーのいーの。そんな日もあるよね」
「ヨリは……?」
「連絡したからそのうち来ると思うよ」
「……私、ヨリに酷いこと言っちゃって」
「うん」
「怒ってました……?」
「うん」

えっ!と顔を上げるといたずらっ子のような笑顔がすぐ隣にあった。

「怒ってたよ。トモちゃん、親友なのにいっつも話してくれないって」
「親友、」
「今は頼りない、のヨリだけどトモちゃんの頼りになるヨリになりたいんだって」
「……」
「ふふっ。可愛い子だよね。弟の子供なんだけどさ、自分の子供のように可愛くて仕方ないのよね。……あの子お家の話はする?」

ゆっくり首を横に振る。

「トモちゃんだから、私も話すわね。私もずっといたわけじゃないからアレなんだけどさ、ヨリちゃん今まであんまりお家でいい思いをしてこなかったみたいなの」

入部の時に親に入部届を見せたがらないヨリの困った笑顔が思い浮かぶ。そうか、だから部活に入るのも最初は嫌だったのかな。やりたいことを親に言えないなんて、考えたこともなかった。

「だから自分に自信が持てないみたいで。だけど、トモちゃんのことは自分のことのように自慢して来るのよ。……大好きなんだよね、きっとトモちゃんのことが」

ヨリにも悪いところあったと思うけど、良かったら仲直りしてあげて。
そう言って立ち上がると息切れしたヨリが河川敷の下にいた。

「ちょ、ちょっとキョウちゃん……河川敷っていうから……下かと思って一周しちゃったじゃん……」
「ごめーん!見つかって良かった!んじゃオバサンは退散しまーす」

 またね、と笑うキョウちゃん。夕陽が反射したパールのピアスが涙のように揺れて、本当にそれがとんでもなく綺麗だったんだ。


「ヨリ、ごめんね」

座る間も無くそういうとヨリは大きく息を吸い込んで「トモちゃんのバーカ」と笑った。

「私ね、トモちゃんの絵大好きだよ。真っ直ぐで迷いなくて、ついて来てって引っ張っててくれるような絵だもん」
「……ありがとう」
「佐々木なんて見返すくらいのやつ書いちゃおう」
「あはは、ヨリが今日は頼もしいな」

 夕陽がゆっくりと河に落ちていく。この景色を描くためにヨリは一人で毎日ここに来ていたのだろうか。寂しくはなかったのかな。悲しいときはなかっただろうか。私は今まできっと上辺だけの親友だったんだな。ごめんね、ヨリ。

「よし、とりあえずさ一緒に部室戻らない?」
「えっ、なんでよ。今日はもういいっしょ」
「あのね、慌てすぎてバッグ全部忘れたの……暗くなった後の学校一人は怖いし……ゴメン……まだ頼りないのヨリだね……」

 恥ずかしそうにそう言って笑ったヨリの顔を見た瞬間、本当に描きたいものが私の中でようやく見つかった。そうだ、今日のことを描くんだ。忘れないように。

いつまでも2人で思い出せるように。




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