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『選択的』夫婦別姓を考えるシリーズ 3

皆さま、ごきげんよう!
『選択的』夫婦別姓を考えはじめ、『似た様な社会問題』がいっぱいあるなと
気になってきました。
しかし、そちらを交えるとより、本題の趣旨が…かなりブレると思います。

ですから、今回は『生物的男女の違い』をわたしの知っている範囲で、
わたしの意見を考えたいと思います。

そもそも、夫婦の歴史をどこから考えるのか?

『日本人』が今の日本列島で暮らし出した頃から、『夫婦』は存在している。『天皇家』は今の『お家制度』が1700年続いている。

現在の日本の法律には、『明治時代』に作られており、前提は、
『江戸時代』の制度から、『近代国家』への転換時に作られている。

江戸時代の婚姻はほぼ、『口約束』で『一緒の家で暮らすこと』だった。
だから、『家』という枠組みが大名を中心に考えられ、『男子の子孫』を残すことが、『婚姻』の目的だったと思う。

そのため、『離婚』した際には、『子供は家のもの』として扱われ、
特に『長男』は父親に育てられることが絶対だった。

そのことと、『大名以外の人々』にも『姓』が与えられ、『平等な仕組み』
として、明治時代に『今の婚姻制度』が作られたと理解している。

生物として考えてみる

そもそも、『男女』とは『雄雌』であり、『生物的な雄と雌』の最大の目的は
『子孫を残すこと』が本能としてあることは、抑えておく必要があると思う。

ですから、『LGBTQ』の方の存在をここに入れ込むことは、
『より話をややこしくする』と思いますので、
一旦、『男女』だけで思考したいと思います。
(整理した後に考察して、よろしいでしょうか?)

ほとんどの『動物』は『雄が精子』を雌に提供し、
雌は『卵子と精子を結合』させて、子供(卵)をこの世に誕生させる。

そして、種によって、その後の『子孫』の育て方は大きく変わってくるが、
親は本能的に『子供を育てること』に最大のエネルギーを注ぎ込む。

まずは、この『本能』を理解した上で、
『男女の考え方が生物学的に違う』事を否定しないで欲しい。

2000年前と500年前と50年前

『本能』を踏まえた上で、『遺伝』も大きく関わってくるのではないだろうか?
また、『生きていく環境』によって、『男女の役割』が違ってきているのではないでしょうか?
そこで、歴史的な男女の役割から、
『男女』と『それぞれに求められていること』を考察したい。

2000年前

狩猟集落と農耕集落が主な生活環境になっており、
多くの労力が『食料採取』と『子孫を残す』ことに使われていた。
そのため、『男』が狩猟や土木工事を請負、
『女性』が植物採取や子育てを請負うことが、自然な流れだった。

500年前

500年前といっても、ここでは、「戦国時代から江戸時代初期」までの
範囲で考えたいと思う。

この頃は、『男』は戦や奉公などに従事することが多いと考える。
農民にしても『土木工事や武士からの徴兵』もあったと思われることから、
ざっくりと『男は外で働く』としたいと思う

『女』は『嫁ぐ』ことが最大の目的になっている。そして、
『男系子孫を残すこと』と『男に従事』することに重責していたと思う。

わたし個人的にはこの頃の『婚姻』について、多いに興味がある。
『男が大事』となっているが、
実際は、『子育て』『料理』『掃除』『家の管理』『ご近所との交流』
『お金の管理』など、ほとんどの事を『女』が取り仕切っている。
特に農民などの身分においては、より顕著に『女』が行っていると思う。

そして、この頃の『権力者』は『バイセクシャル』だったのでは?と
思われる文献が出てきている。『主従関係も性的相性』によって、
『出世』に違いが出ていたり、『家臣の嫉妬』もよくあったようだ。

また、聖職者においても、『児童虐待』が行われていたりと、
決して『今よりも良い環だった』と言えない時代だった。

50年前

1970年代から1980年代は、『高度経済成長期』でもあり、
『昨日よりも今日が、今日よりも明日が、必ず成長している時代』だと
わたしは思っている。

そんな時代に『男は外で稼ぎ、女が家を守る』ことが、より安定した生活を
営むことができるとみんな信じていたと思う。

特に、『戦前教育』の『らしくあるべき』を守っていれば、
『幸せになる』と間違った錯覚を持っていても、
『収入は上がり』『努力すれば報われる』ために、正当化されていたと思う。

今では、『寝る間も惜しんで働け』といえば、確実に『パワハラ』と
なることでも、その当時は、『正論』だった。

だから、なんなんだ!

わたしの結論としては、

『ここ50年の変化』は、『歴史的』に見ても、『生物的』に見ても、
とても大きな変化をしていることを認識し、
改めて、『価値観は変わる』『社会は劇的に変化する』事を前提に
『男女』の婚姻だけでなく、全ての『性』に対して、柔軟に対応できる
システムを作り上げることが重要だと思う。

『夫婦別姓』に反対の意見の中に『だからなんなんだ?』と感じてしまう意見もある。否定するわけではないが、『歴史が』とか、『わたしは困らないから』と
『そう教わったから』といった意見を目にすると、寂しい気持ちになる。

確かに、直接的には『誰かを傷つけること』はない。
しかし、わたしには『困っている人や変えたい人』に対して、
『無意識に意見を切り捨てている行為』に思える。

対立よりも『議論を重ねない』方が問題ではないでしょうか?

『LGBTQ』の方々を含めて考えると、『より議論が必要だ』と思う。
また、『変えて欲しい』と願っている人に

『変えない』と『変えられない』では、言葉の重みが全く違う

とわたしは感じる。

『変えたくない人』の意見は根拠はないが、『似ている』というより、
『似てくる』と思う。

制度や法律、方法や付き合い方を
『変えてしまうことで、大きなデメリットがある』場合以外は、
『変えることのメリット、変えてからの環境を考える』ことに
もっともっと、許容した話し合いを行いたいし、行って欲しいと思う。

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今日も、誰が見ても「綺麗な言葉」が溢れますように
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今回は『みんなのギャラリー』から『小中ぽこ』さんの写真を
お借りいたしました。
おなかぽこさんありがとうございます。

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