生の暴力性と建築――『東京都同情塔』を読みつつ
この世界に生まれるということは、残酷である。人は生まれてくることに同意したわけでもなく、受動態で生まれる(be born)。サルトルはそのことを「被投企性」と呼んだ。そして人は、否応なく、歓びばかりでなく苦しみや絶望を少なからず与えてくる人生を生きさせられることになる。その不条理を正当化しようとする心理が、仏教における「業」、キリスト教における「原罪」という概念を生み出したのだと考えても、不自然ではない。世の中がどうしようもなく根本的に苦しみに満ちているものだと考えるよりは、