見出し画像

「宿題を終わらせてから遊ぶ」スタイルの危険性 ━━━ 漁師とコンサルタントの寓話に寄せて

「夏休みに宿題が終わっていなくても遊べる子」の方が、「先に宿題を終わらせてから遊ぶ子」よりも良い生き方ができるのではないか?「メキシコの漁師とMBA持ちのコンサルタントの話」を読んでそんなことを思った。

この寓話はいろいろな観点から考察できるが、「このコンサルタントのようにはなりたくない」と思われる方も多いだろう。私もその1人だ。しかしながら、実際にはコンサルタントのような「一生遊んで暮らせるお金をためてからのリタイア」に対する憧れを否定することもできない。

振り返ってみれば、こういったコンサルタントのようなマインドセットは既に小学校の頃から多くの人に芽生え始めているのではないだろうか。そして、それは夏休みの宿題に対する向き合い方として表れているのではないか。

夏休みの宿題には、だいたい3パターンの取り組み方があるだろう。

1. 先に全部終わらせてから遊ぶ
2. 計画的にコツコツやりながら遊びもする
3. 先に遊んでおいて後になってからやる

そして、1が一番良く、3がダメなパターンだというのが一般的な認識だろう。実際、1なら宿題が終わった後腐れなく遊べるし、親や先生にも褒められる。実利的にも大人の評価としても、1のやり方をする子が「お利口さん」だった。

しかし、人生全体を夏休みと同様に考えることはできない。人生はあまりに長い。夏休みの初めの1週間で宿題をやるのと、何十年もの時間をただ未来のために犠牲にするのとはわけが違う。その何十年の間には、やりたかったことをやる好機を逃すことになるかもしれない。さらには、途中で事故や病気に遭ってやりたかったことがもう物理的にできなくなってしまうとか、仕事が思ったように上手くいかず目標通り貯蓄できなくなることもあり得る。

3のようなやり方は、借金して遊びまくって後は野となれ山となれ、といった感じだろうか。明らかにリスキーであるし、多くの人はそんなことをする勇気もないだろう。

となると、一番賢明なのは2のやり方なのではないか。適度に宿題をしながら適度に遊ぶ。適度に働きながら適度に遊ぶ。そう、メキシコの漁師の生き方だ。必要なのは、多少心配事があってもそれを気にせず遊べる程度の度胸だろう。別に大した話ではないのだが、先に宿題を終わらせてきた人にとっては(私もそうなのだが)決して簡単な話ではない。それでも、メキシコの漁師のように生きたいのなら、この点は克服していかなければならないと思う。

さらにいえば、年を取ればとるほど<宿題>には終わりが無くなってくる。小学生の頃は算数ドリル何ページと漢字書き取り何ページ、のように量が決まっていた。しかし、高校や大学のレポートになると、クオリティを追求すれば延々とやり続けることができてしまう。仕事ともなればそれこそ際限がないし、ひとつ終わらせても次の仕事がまた降ってくる。自分で区切りを付けなければ、完全にリタイアするまで「終わったら遊んでいいよ」という訳にはいかない。だから、「宿題が終わるまで遊ばない」思考だと、「リタイアするまで遊べない」になってしまう。

そのためには、自分のプライベート時間は明確に決めて、それを守っていく必要があるだろう。以前東洋経済の記事をシェアした際にこうツイートした。

ここでいう「プライベート時間を一番大きな石として考える」ことは、つまり仕事が残っていても時間で区切ってその日の残り時間はプライベートに使うということだ。そうでもしなければプライベート時間は守れない(=最初に壺に入れないと入らなくなる)。だが、そうするためには、宿題が残っている状態でも遊べるマインドセットがなければならない。

小学校の頃に生まれた「お利口さん」な自分。彼はその時点では考えうるベストな戦法を取っていた。しかし、環境が変われば戦法も変える必要がある。そろそろ、そのスタイルとはお別れする時間ではないか。


いいなと思ったら応援しよう!