高校時代の留学で得たもの
私は高校時代に11か月間(高2の9月から高3の7月にかけて)イギリスに留学していた。それから2年ほど経ち、大学2年生になった今、その経験の意味を考えている。まだ不完全だが、現状の答えを共有したい。
「寄り道」としての留学
いきなりネガティブな話だが、高校時代の留学は明確な利益をもたらすものではないように思われる。高校レベルでは、日本に存在しない価値の高い知識がいきなり身につくことはない。そもそも、現在の日本で手に入らない知識というものも少ない。
また、最近では大学まで含めると留学や海外生活を経験している人は珍しくない。海外経験のステータスとしての価値も決して高くなく、将来の成功を保証するものではないだろう。留学は成功への「近道」ではない。
むしろ、高校時代に日本のカリキュラムから離れてしまうのは「寄り道」の感が強い。そしてその道中には、ハッキリした「お宝」が転がっているわけでもない。ゲームのように「留学すると経験値が上がってレベルアップ!」みたいな分かりやすい成長や成果を望むことはできない。1年後に羽田空港に降り立った私は、念力が使えるようになったり透視ができるようになったりすることはなく、ただの私のままだった。
だから私は「こんな良いことがあるから絶対留学すべきですよ!」とおすすめすることはできない。そこには、一言で簡単に提示できるメリットが見つからない。
むしろ、留学はハッキリ言ってキツい。海外経験の無かった私にとっては、英語での授業や日常会話についていくのも精一杯で、レポートや読書課題などは周りの生徒の何倍もの時間を費やさなければならず、みじめな思いもしたものだ。初めはどの店に何が売っているのか、電車にどうやって乗るのか、基本的な生活の仕方さえ何もかもわからない。かの漱石もイギリスに留学したものの馴染めず、つらい思いをしていたそうだ。日本の高校でせっかく楽しく生活している人に、異国の地に行ってつらい目にあってこいと軽々しく言えたものではない。
それでも私は、高校時代の1年間を費やして留学をして良かったと思う。そこには明確な成果こそなかったが、確実に自分の糧となっているものがある。それを4つ紹介したい。
1. 人生の幅が広がる
留学という「寄り道」の道中ではいろいろな新しい出会いがある。それは、場合によっては人生の方向性を変えてしまうかもしれない。私は元々、大学では経済学部に行こうとしていたのだが、留学中に受けた美術の授業がとても楽しく、また観光をしていて出会った大聖堂などの建築物に触発されて、現在では建築を勉強している。このような方向転換は日本に居てはありえなかっただろう。
もちろん、そんな大きな変化が起こるとは限らない。それでも例えば、ウクライナ人に出会ってウクライナ情勢に興味を持つようになるとか、初めて鹿肉を食べてみて「ジビエ料理」っていうワードに反応するようになったとか、ローズガーデンに行ったからバラ好きの母親と話が合うようになったとか、小さな変化は必ず起こり、それが積もり積もって、自分という人間の幅が確実に広がっていくと思う。それはより多くの人と共感できるようになることだし、より多くのものを楽しめるようになるということだ。生きているのが多少は面白くなるんじゃないかと思う。
2. 身近な物事への感度が上がる
私たちは普段、自分の身の回りの環境に目もくれない。もはや当たり前すぎて、トイレにウォシュレットが付いていても、寺の鐘が鳴っていても、24時間営業のコンビニがあっても何も感じない。
しかし、留学すると状況は一変する。見るもの聞くもの新しいものだらけだ。聞いたこともないメーカーのチョコレート。デカく、分厚く、紙質の悪いペーパーバック書籍を読んでいると、大聖堂の鐘が鳴る。電車の椅子は特急列車でもないのにみんな新幹線スタイルで、出掛けるたびに小旅行のようでワクワクする。些細なことがいちいち面白い。
この感覚を一度経験すると、普通の日本の景色でも面白く豊かに見えるはずだ。さりげなく生えている桜の木とか、みんなが通り過ぎてしまう石碑とかに目が行く。そういうものは意外と歴史があったりして面白い。
もちろん、時間がたてば留学先でのワクワクも薄れていくし、私もまた日本の風景に無感動になってきている。しかし、ささやかなことに感動を覚えた体験はささやかなことに対するリスペクトを生む。小さなこともバカにせず、尊重する気持ち。それは消えることがない。
3. 海外への憧れが消える
人間だれしも「ここではないどこか」に憧れてしまうものだ。海外経験のない人にとっては、コンプレックスも相まって、海外というのは大いなる憧憬の対象となる。海外に行けば何だか大成功してハッピーになれる気がしてしまうものだ。私にもそんな感覚があった。
しかし、実際にはそんなことはありえない。貧困に喘ぐ発展途上国の人が日本のような先進国に抱く憧れは、確かに現実のものかもしれない。それは富や資源といった具体的なものに関わるからだ。しかし、豊かな日本に住む我々が抱く「ここではないどこか」への憧れは精神的苦痛からの解放や自己実現といった抽象的なものであり、また「そこへ行けば全てが解決する」といったインスタントな手段を求める感覚に基づいているように思われる。ゴダイゴの『ガンダーラ』に歌われるような感覚だ。しかしそんな場所は「心の中に生きる幻」でしかない。留学を通して、それを実感させられた。
これは別に留学先が期待外れな場所だったというわけではない。たくさん学ぶことがあったし、施設も充実していて、街も美しかった。それでも、全ての問題が解決するわけではない。そんな当たり前のことを実感しただけのことだ。
しかしこの気づきは重要だと思う。それは即ち、現実にそぐわない憧れや夢想から解放され、自分の置かれた状況に言い訳を求めず、どんな場所・状況でも活路を見出し輝ける人になるということだ。もう海の彼方に理想郷を探し、無駄骨を折ることはあるまい。『いつも何度でも』に歌われるように、「輝くものはいつもここに 私の中に 見つけられたから」。
4. 圧倒的なマイノリティになる
日本で生活していると殆ど周りにいる人は同じ人種で、みんな同じ言葉を話している。しかしイギリスに行った私はマイノリティだった。日本語で話せる日本人と出会うことなどほぼない。私は自分の不慣れな言語で話し、不慣れな文化に合わせて生きていかなければならなかった。
このような経験は、「フツウ」のカテゴリーに当てはまらない人たちに対する想像力を育んでくれる。この想像力の対象はもちろん、明確に見た目や言葉が違う人たちに限らない。趣味嗜好、思想信条の差異も、この想像力は乗り越えさせてくれる。
一度圧倒的なマイノリティになると、多少は他人に優しくなれるはずだ。
おわりに
以上のように、高校時代の留学は人間的に成長させてくれる部分が多々あるように思う。しかし、いきなり人生ハッピーになるわけではないし、飛びぬけた知識や技術が身につくわけではない、という意味において明確なメリットは無い。辛いこともたくさんある。
それでも、留学をお考えの方で、ここまでお読み頂いてなお興味をお持ちであれば、挑戦してみても良いのではないかと思う。もはや陳腐化しているかもしれないが、スティーブ・ジョブズのこの言葉で締めさせて頂きたい。