ゆで卵を全力で楽しむことが、平和な世界への第一歩だと思っている
みんなが自分の人生に全集中できれば、戦争はなくなる、というのをどこかで聞いた。
平和のためにできることなんてないと思っていた自分にとっては、救いの妙案であったので、とても気に入っている。
それ以来、自分の人生に集中することへの罪悪感も無くなって行ったように思う。
◇
特に家事に対して、後ろめたさが無くなった。
私は家事が好きで、人と会うより家事がしたいという生き物のため、
「平和のために、募金したり、ボランティアしたり、友だちを増やしたりしないといけないのだ!!」
と思い込んでいたときはちょっと寂しかった。
(周りに平和のための仕事をしている人がかなり多い一方で、自分も割と平和主義者なのに、自分には何もできないことが、寂しかったのだと思う。)
平和のために自分にできることを任せてもらえたような気がして、自己肯定感がついた。
自分にできることを、すればいいのだ。
◇
そう思うようになってから、たかがゆで卵でも、全集中で作って、全集中で食べるようになった。
固茹でのときも、半熟のときも、その茹で方特有の美味しさを全力で味わう。
合っているか分からないけれど、
自分の場合、卵に全集中しているときには、
西田幾多郎の言う「純粋経験」ができているのだと、勝手に思っている。
そして心のなかで、
「ありがとうニワトリ!!!!!」
と叫ぶ。
ついでに卵を買うときも、
ニワトリの就業環境を向上してもらいたくて、
できるだけ平飼い卵を買う。
狭いところで集中してとにかく効率よく作業するのも好きだけれど、広い明るいところで走り回ることも、私は好きだ。
ニワトリの就業環境向上を夢見て、
平飼い卵をにお金を払うのも楽しい。
(生きているうちにはあんまり変わらないけれど、平飼いだと、食べるときに自然の中で揉まれながら走り回るニワトリをイメージして食べられるので、嬉しいというところもある。)
◇
今日はそのゆで卵の写真も素敵に撮れて良かった。
また見返して、美味しかった卵を思い出そう。
ごちそうさまでした。
またつくります。
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