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【自伝小説】第4話 高校編(3)|最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島

魔法の言葉

極真ルールでは反則となる投げ技によって、かなりのダメージを負ったフリムンだったが、痛みよりも感動の方が遥かに上回っていた。

それは男に掛けられた言葉にではなく、自分のような相手に本気を出してくれた事。そして形振り構わず「投げ技」まで繰り出してくれた事。

その事に対し感動を覚えていたのだ。

そう、県内トップクラスの実戦空手家に、彼は本気を出させた事になるからである。

「俺は…確実に強くなっている」

しかし、背中ではなく頭から落とされていたなら、間違いなく病院送りにされていただろう。

それに、例え反則でも実戦を想定していたなら何かしら対処できたはずだ。

喜びと反省の狭間で、フリムンはまだまだ最強には程遠いなと感じていた。

その時、突如ポンッと背後から肩を叩かれ男に声を掛けられたフリムン。

「君、中々やるね」

「押忍、ありがとうございます」

「まだまだ強くなるよ、ずっと空手を続けなさい」

飛び上がりたくなるような衝動をグッと堪え、フリムンは平静を装って頭を垂れた。

その後、道場を立ち上げた彼が、事ある毎に生徒に掛けるこの「魔法の言葉」は、実は自らが「魔法に掛けられた言葉」そのものであった。

こうして徐々に才能の片鱗を見せ始めたフリムンであったが、それも長くは続かなかった。

目標となる「直接打撃制ルール」の空手大会がないという弊害が、彼のやる気を徐々に削ぎ始めたからである。

そして、もう二度と戻ってこない高校生活を遊び倒して過ごしたいという思いが重なり、程なく道場から遠ざかるようになっていった。

お世話になったN先生から再三戻るよう進言されるも、空手部の時同様、意固地な彼の気持ちが変わる事はなかった。

少しだけ過ごしやすくなってきた、夏の終わりの出来事である。

ちなみに彼の夢には極真空手家以外にも色々あった。

漫画家を筆頭に、アクション俳優、映画監督、漫才師、劇作家、芸術家、ミュージシャンなど、肉体を酷使する事だけにそれは留まらなかった。

まさに夢の大渋滞である。

そんな彼が大人となり、何十年か振りに書いた絵がこれである。

ジャングル大帝とタフクンボール(笑)

彼の絵の才能は、既に子ども時代から培われていた。そしてその才能を発揮できたのも、祖父母の「魔法の言葉」があったからに他ならない。

トンボ先生

高2から卒業までの二年間、フリムンの担任を務めたのは、地元では有名なトンボ先生であった。

中学の頃からトンボ先生とは顔見知りで、入学時から既に目を掛けられていたフリムン。

大好きな映画代を稼ぐため新聞配達のバイトをしていたのだが、実はトンボ先生はその購読者だったのだ。

雨の日も風の日も休まず配達に来る彼を、トンボ先生は痛く気に入ってくれていた。

それが、二人の運命の出会いとなったのである。

教鞭を執るトンボ先生
(このポーズ、絶対に芝居であるw)

ちなみにトンボの研究に人生を捧げていた先生が、一度だけあの有名な「ミュージックステーション」にて紹介された事があった。

高校を卒業し、東京に住んでいた時の事だ。

それを目の当たりにしたフリムンは、テレビジョンの前でひっくり返った。

全国放送で知っている人間が紹介されたのは初めてだったからである。

まだ二つ後輩の「BEGIN」が、全国的に大活躍する遥か以前の事である。

そんな一風変わった先生のクラスが楽しくない訳がない。

フリムンとトンボ先生は、まるで芸人の相方の如く、隙あらば(隙なくとも)フザケあってばかりいた。

ちなみに先生も大のジャッキーフリークで、それが二人の仲を更に濃いものとした。

中でも先生は「酔拳」をかなり推していた。

時々、授業中に生徒に鑑賞させていたくらいだ。

出来の悪い弟子と、厳しくもシャレの利いた師匠との関係を描いたその内容が、優れた「教育映画」だといつも話していた先生。

それはまるで、フリムンと先生の関係のように見えなくもなかった。

後に道場を立ち上げた彼が、毎日のように子どもたちとフザケ合っているのは、こういう師弟関係によるプラス面を知っているからである。

真の信頼関係とは、得手してこういう事でしか構築できないのかも知れない。

それをこの時期に、彼はトンボ先生から教わったのであった。

ちなみにトンボクラスでは、遅刻、無届け欠席をすると、放課後に中庭の「銅像前」で正座させられるのが決まりであった。

そして情けないことに、フリムンはその「常連」であった。

        The ”遅刻王” フリムンの瓦版記事

当時の学級新聞「瓦版」より抜粋。この頃から何事も一番じゃなきゃ気が済まなかった。
娘たちの卒業式でも当時を懐かしみ、銅像前で正座するのがイベントであった (いや意味w)


酒のツマミになる話し

酔拳が大好きなフリムンであったが、彼は生粋の下戸であった。

しかし、空手の道を離れ、今しかできない目先の楽しみを優先すると決めたからには、何事にもトコトンというのが彼の出した答えである。

その一つが、最も苦手な「飲酒」であった。

ただ余りにも弱過ぎて、飲めば“即顔面蒼白”。

それでも意地を張って飲み比べをし、その度にシャバダバダと安定のリバースを繰り返した。

そして程なく、「シャバダバダ大王」の名を欲しいままにする事となる。

そんなある日の事である。

酒も飲めないくせに部屋で友達と飲酒し、泥酔してそのまま眠りについた事があった。

翌朝、寝ている少年たちの耳元で、突然セトモノとセトモノがぶつかる音が鳴り響き、その音で全員飛び起きた。

そこで彼らが見た光景は、なんと泡盛の空瓶と空瓶を叩きながら、ニヤニヤ笑うトンボ先生の姿であった。

「ウッソーン」と慌てて「証拠隠滅」を図る面々。

しかし、時すでに遅く、その場で全員

「現行犯逮捕」

となった。

そして、そのまま「酒を抜くぞっ」とトンボ先生に無理やりランニングに付き合わされる羽目に。

実はルーティンである早朝ランニングの途中で嫌な予感がし、遠回りしてわざわざフリムンの家に立ち寄った先生。

予感は見事に的中。虫の知らせとは、まさにこの事であった。

その後、島ぞうりでトンボ先生の後を追い、泣きそうになりながら約3km程の道のりをランニングさせられた健気な少年たち。

お陰で全員休まずに登校できた。

今では考えられない、古き良き時代の素敵なお話しである。

ちなみに皮肉な話しだが、彼の黒歴史のありとあらゆる経験は、現在「登校支援員」を務める彼のスキルにシッカリと生かされている。

転んでもただでは起きない男、それがフリムンの真骨頂であった。

そんな下戸なフリムンだったが、何故かタバコは何の問題もなく吸えるようになった。何ならヘビースモーカーでさえあった。

そのキッカケも、友達に「煙草も吸えんば?」と馬鹿にされ、カチンと来て背伸びしただけの事だった。

その日から、喫煙は彼のルーティンとなった。

当時はどこもかしこもスモーカーで溢れ返っており、誰もが一度はスモーキンしていた時代。

それに、当時流行っていた青春映画に出てくる不良少年たちの喫煙姿がカッコ良過ぎて、それを真似たい一心からでもあった。

そんな彼のタバコにまつわる失敗談は、卒業後も耐える事はなかった。

背伸びをしてスモーキンしていた頃の著者

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この記事を書いた人

田福雄市(空手家)

1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。
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