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【音楽連載】旅立ち|漆黒の音|音楽と文:慶田盛大介


今年、父が亡くなって5年目。
破天荒な父は僕にたくさんの経験と思い出を残してくれた。

ド直球な生き方


 
父を語るにはこの言葉がふさわしい。
 
消防士であった父は、興味があること、面白そうなことに関しては脇目も振らずに飛びついていく。
例えば、牛を数頭飼っていたのだが、セリに出して売ってきた。
母はいくらで売れたのか心待ちにしていたのだが、帰ってきた途端、2階にそそくさと上がっていったのだ。
 
母が怪しく思い、
「お父さん!セリはどうだったの?いくらで売れたの?」と問い詰めた。
すると父は「夢だった。」とつぶやいた。
「?、何それ?」と母。
 
「夢だった。魚探が欲しかった。。」
そう、牛を売って魚群探知機を購入していたのだ。
かたや、エビの養殖をまだ誰もやってない時代、エビの養殖にピンときたのか、庭に大きな水槽を5槽ほど作り本格的に養殖の研究をしはじめたりするのだ。
 
繰り返し言うが、父は消防士であった。
父には先見の明があり、流行る前に行動を起こして周りからは理解されない
が、流行り出すとまた新しい発想に舵を切り長続きはしない。
とにかく、常にワクワクに舳先(へさき)を向けていたのだ。
 

思い出の彩度と明度

 


色には「彩度」と「明度」という色彩の感度がある
「明度」は色の陰影の度合いを表し、高ければ白に近づき低ければ黒に近づく。「彩度」は鮮やかさを表していて、強すぎると生々しく鮮明になり強烈なインパクトを与える。
 
どんな色彩で思い出たちは記憶に残っているのだろうか?
霞んでいくような思い出や、鮮烈に焼き付いている思い出。
そこには「心のフラッシュ」が関係している気がするのだ。
 
子どもの頃、島での景色はギラギラとした彩度の高い景色だったように思う。父とはよく海や山、島の自然の中でたくさん遊んだ記憶がある。
 
船を出し釣りにいったときには、空の青と海の青の境界線がきえていき、そのまま青に吸い込まれていくような感覚になったのを憶えている。そして、山での探検。雑草で仕掛けを作って川エビをとって火をおこして、焼いて食べる。そういった命や自然への感謝の記憶も色褪せることなく心のアルバムに残っている。
 

父と遊んだ思い出

 
同じ日の記憶であっても、若干色合いが変わっていることに気づいた。
思い出も心の状態によって「彩度」と「明度」というものが違ってくるのではないだろうか。
 
父とはサバイバルキャンプもしたりした。
中学3年の夏休み、父と友だちと犬の3人1匹でのサバイバル。
ナスDのサバイバルとまではいかないが、準備は必要最低限の食糧?(水と素麺と醤油のみ)と、みんなで太い針金を削って作った自家製モリ。舞台は伊原間の海岸。魚や貝を捕って、3日間自給自足をして生き延びよう!というコンセプトだった。

ところが、魚影はまったく見られず、貝すらもどこにも見あたらない。3〜4時間漁を試みたが、日も暮れてきてなんと1匹も捕れないままその日は終了。
 
その時の記憶は彩度も明度も低く、空気すらも重く、お腹は軽く、絶望感がすぐ隣で笑っているようだった。その夜、眠りにつこうと即席テントで寝たが空腹と蚊の来襲に寝つけず、車の後部座席で犬と一緒に寝ることにした。そしてウトウトしはじめたとき、何気なく座席の背もたれとシートの境界部分の隙間に手を差し込んでみた。

その時、何かビニールみたいな感触が手に触れ、取り出してみると、なんと!!真っ赤に輝く飴玉だった。僕は生唾を飲み込み、はやる気持ちをおさえて、袋を開けた。その瞬間、飴はするりと手元から転げおち、シートの上に転がった。そこからが早かった。犬の反射神経をなめていた。犬も極度の空腹であったのだろう、その飴をシャッと口に含みそのまま眠ってしまったのだ。

その夜の月の光は煌々と僕の膝を照らし出し、なかなか眠れず車の窓ガラスに頭をかたむけ、波音たちの遠鳴りを枕に、輝く赤いあの球を何度もリフレインさせていた。

翌朝、疲労困憊の中、父が思い付きでこんなことを口にした。
「みんな!!牛そば食べに行こう!!」
キャンプ地から徒歩10分くらいのところに「新垣食堂」という牛そばの有名店があった。
みんなの表情が一気に変わった。そんなトリッキーな選択もアリなんだと。
その瞬間の彩度と明度はMAXを振り切って天まで昇るような心地だった。
そして、その瞬間からサバイバルキャンプはただの海水浴キャンプへと名を変えていったのだ。


旅立ち



そんな、父との思い出は色褪せない。父は好奇心のかたまりで感動屋。父といる時は、僕の心のフラッシュも常に全開だった。そしてフォーカスするところはワクワクとドキドキが中心。父はよく島の自然を眺めながらこんな言葉を口にしていた。
 
「父ちゃんはこの島に生まれてよかったって、つねづね思ってる」
「この小さな島にはたくさんの驚きと可能性が息づいているさぁ」
「もっと自然に耳を澄ませてみ」
「色んな生き物や自然の音が聞こえてくるさぁな」
 
島のすべてにドキドキワクワクし感謝していた。父は生前こんなことも言っていた。
 「本当は消防士にならずに、農業や養殖をやって研究したかったわけよ。でもお前ができたことを知って、公務員の道を選んださー」
 
大人になった僕は気づいた。だから音楽で生きていきたい!という僕の夢を誰よりも応援してくれていたのだと。だからこそミュージシャンを目指して東京に旅立つときも、背中を押してくれたのだと。
 
歳を重ねるごとに心のフラッシュが弱くなり好奇心や感動が薄れていく気がする。だが、父のように純粋な子供の心で、島の自然や人に心のフラッシュを強くあてながら、常識や習慣の縛りから旅立ち、何度でも自由に大海原へ出航できればと思うのだ。

(編集部注記:「旅たち」というテーマで書かれた慶田盛大介さんの作品はこちらから視聴いただけます。↓↓↓)

今月のふろく

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この記事を書いた人


慶田盛大介

1978年石垣島生まれ。大学進学とともに上京。バンド、ユニット、ソロで音楽活動をし、指笛で紅白歌合戦に出場。2021年、クラウドファンディングを達成し、制作したCDアルバムをひっさげて帰郷。2022年、服とギャラリーの店kan-kanをOPEN。現在、石垣島を拠点に音楽のみならず、全てのアートをツールとし表現中。
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