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【エッセイ連載】柔術家/歌手/海人の独り言 vol.1 (前編)|2023年4月号|人生のハンドル|文:渡辺直由


はじめまして

八重山に移住して12年、東京都千代田区出身の渡辺直由と申します。編集者様よりこのような素晴らしい機会をいただきましたので、先ず初回は簡単な自己紹介と、八重山への移住のキッカケを書きたいと思います。

今回の第一回はテーマが“言葉と縁”ですので、とある著名な友人からいただいた言葉である【人生のハンドル】について書かせていただきます。【人生の舵】とも言い換えられますが、このハンドルを切る力=違う世界/違う土地に飛び込む勇気や原動力をテーマに展開して行きたいと思います。

これまでのこと

八重山移住以前の私の職歴から振り返りますと、1995年19歳で東芝EMIレコードよりメジャーレーベル歌手デビュー。シングル5枚/アルバム1枚をリリースするも売れずに音楽は諦めて1997年の夏から趣味で総合格闘技を習い始めます。

1998年後半くらいに総合格闘技からより寝技に特化したブラジリアン柔術にシフトして行くのですが。これが水が合ったようで少しずつ頭角を現し噂になり始めた私はアルバイト的に格闘技の技術指導などを任されたりもするようになり指導者歴は今年2023年で25年になります。※現在も八重山で柔術チームの代表を務めさせていただいております。

2002年には日本初の柔術プロ興行にて、日本人唯一の一本勝ちを果たしプロデビュー。(以下経歴)
・サンパウ州選手権 紫帯3位
・アリアンシ杯 茶帯優勝
・欧州選手権 茶帯優勝
・欧州選手権 黒帯3位
・世界選手権 黒帯ベスト16
・プロ柔術戦績5勝1敗

等の戦績を残し2010年に現役を引退しました。

引退後の2011年、昔からの夢だった八重山移住を果たすのですが、それまでの経緯をサラッと以下に書きます。

八重山移住のきっかけ

海人という肩書きも

私の生まれた場所は日本の中心に有る大都会でしたが、皇居や靖国神社、古くは江戸城の外堀であったお堀がすぐ近くにあり、都心にしては豊かな水と緑がある場所に育ちました。

それらの場所でザリガニやヘビやカエル、昆虫などを捕まえるのが大好きで、そんな私を見た母親が神奈川、千葉、埼玉などの東京よりも自然が豊かな場所に時折私を連れて行ってくれたのですが、その時の私の喜びようと言ったらそれはもう本当に凄かったそうです。

そんな私を見て母は、小学校の2年生からとある関東で活動する水泳教室が運営する団体のマリンキャンプに行かせてくれるようになります。千葉の行川にある海岸で貝やタコや魚などを自分たちで採り、それを調理して食べる。その体験が今の私を作ったと言っても過言ではありません。そして10〜11歳の頃、その提携団体のキャンプで初めて八重山の海を訪れます。1985年か1986年の事です。

着陸寸前の飛行機から見える海。港に着いた時のそのあまりの強烈なブルーに完全に心を奪われました。小学生の自分が初めて見た南の海。そしてその港に泳いでいた、今まで図鑑でしか見たことがなかった生のハリセンボンの姿と感動を昨日の事のように覚えています。さて、この話を掘り下げると3冊くらい本を書かないとならなくなるので、今回は最初に話を戻しますね。

人生のハンドル(前半)

私は幼稚園〜小学校にかけては、まあかなり変わった子ではありましたが、特に人に迷惑をかけるわけでもなくやってきました。しかし中学校に入ってすぐに担任と大喧嘩をし不登校児になりました。中学校にはトータル1ヶ月くらいしか通っていません
※最終的に担任の非も認められ何とか卒業。

その後ずっと高校1年の後半まで堕落した人生を送って家族にもありとあらゆる迷惑をかけました。そんなある日、ふと自分に嫌気がさし何かを変えようと、「ボクシングをやってみたい」と母親に話しました。決意を持って、と言うよりは母親にも聞こえるような独り言に近い感じで、です。

それを聞いた母親が財布を取り出し私に万札を数枚渡してきて、「ほら、これで今すぐ入会してきなさい」と言いました。私は「いや親の金でなんて格好悪いからバイトをして自分のお金で来月か再来月から…」などとカッコつけて(実家暮らしのクセにw)ゴニョゴニョ言う私に、「そんな事を言ってたらあなた一生やらないでしょう?“思い立ったが吉日”と言う言葉があるのよ、だから、今、今日この瞬間にあなたの人生と未来を変えなさい…」

普段母親の言う事など一切聞かず飲酒と喫煙を繰り返し、注意されれば物を投げて怒鳴り散らし、母親を泣かせるダメ高校生の私が、この日ばかりは母親の迫力と説得力に圧倒され何の言葉も返せませんでした。

その夜、怖くていつも通り過ぎていたボクシングジムの階段を降りて、ムワッとする汗臭い地下の受付で入会手続きを済ませました。

結論から言うと、ボクシングは怪我や音楽への目移りもあり1年半程しか続きませんでしたが、その日もしボクシングジムの門をくぐる事が出来なければ私や家族の人生の未来は暗く
大袈裟ではなく、かなり高い確率でニュースになるような最悪の結末を迎えていたと思っています。※詳細はまたの機会に。

その日感じた【人生を変える勇気と決断力】その経験と判断の連続を経て、今私は八重山に住んでおります。

|後半へ続く→→→

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この記事を書いた人

渡辺直由(柔術家/歌手/海人)
1975年8月4日生まれ。東京都出身。19歳でメジャーレーベルから歌手デビュー。2004年に盟友早川光由と共にトライフォース柔術を創設。柔術世界選手権や欧州選手権、プロの舞台でも活躍。2011年に現役を退き憧れの八重山に移住。電灯潜り漁師(現在休業中)を経て2022年6月に美崎町にカラオケ&弾き語りバー《アームバー》をOPEN。現在も代表としてトライフォース石垣島支部で柔術クラスを持ち、後進の育成に努めている。
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