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【自伝小説】最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島|第4話 高校編(6)

嗚呼·花の応援団

そんな高校生活も中盤戦を終え、いよいよ最上級生となったフリムン。待ちに待った3年生の始まりである。

ちなみにその時代の市内三高校には、陸上競技や各種スポーツ競技でスポットライトを浴びる憧れの団体が存在した。

そう、泣く子も黙る「応援団」である。

当時の応援団は、最上級生を応援リーダー(1軍)に置き、残りの2~3年生をサブリーダー(2軍)として控えさせる二段構成となっていた。

更に、チアリーダーには3年女子が人気投票により選ばれ、全校生徒の前でダンスを披露。

そんな誰もが憧れる花形軍団が、「応援リーダー」と「チアリーダー」であった。

そんな応援リーダーに、彼の通っていた中学校からは彼だけが選ばれた。

(サブリーダーには何名か居たが)

何故なら、あの暴れん坊の巣窟であった「N中」と「I中」出身者が大半を占めていたからだ。

応援団は、そんな選ばれし者たちの集まりであった。

そして、そんな選ばれし面々から全会一致で「団長」に任命されたのは…なんとフリムンであった。

ちなみに彼の通っていた中学校は、最恐の「N中」や「I中」に比べ大人し目の生徒が多く、よって過去に応援団長を務めた卒業生は皆無。

つまりフリムンは、歴史をひっくり返した最初の卒業生となったのだ。

その瞬間、彼の人生で最強最後の「モテ期」が到来した。

後に先にも、あれだけモテたのはこの時だけである。 

まだ前髪に覇気が宿っていた頃の著者(覇気って言うな)

所信表明

応援リーダーに選ばれると、全校生徒の前で「演説」をするのが慣わしであった。

いわゆる「所信表明」である。

団長に任命されたフリムンは、最初が肝心とばかりに気合を入れまくった。

(その気合が仇になるとも知らずに…)

ちなみに演説では、英語で優しく語りかけたり、広東語で笑いを取りに行くリーダーが続出した。

皆、人気取りに必死であった。

それを尻目に、団長としてトリを務めたフリムンは、開口一番こう言い放った。

「お前ら、俺が団長になったからには容赦しないからな!」

次の瞬間、一瞬で館内は凍り付いた。

彼の声の大きさもそれを手伝ったのだが、ファーストトークに「お前ら」はなかった。

上から目線の威張り散らした態度に、先ほどまで盛り上がっていた会場は喪に服すかのようにシンと静まり返った。

「か、完全にスベッたーーーーーー(涙)」

少なくとも彼はそう思った。

その後、何を喋ったのか全く覚えてないほど、フリムンは最後の最後までテンパっていた。

(お、終わった…ピエン)

落ち込みながら壇上を降り、体育館を後にしたが、下級生の視線が余りにも痛すぎて、終ぞ周りを見回すことができなかった。

もう…溜息しか出なかった。
 
そんなフリムンが一人で階段を登っていると、上から降りてくる下級生の女子集団と鉢合わせた。

しかし、あのダダ滑った演説の直後である。

フリムンは下をうつむき、目を合わせることなく通り過ぎようとした。

すると、何とすれ違いざまに下級生の女子たちがキャーキャー言いながら走り去っていくではないか。

フリムンは我が耳を疑った。(な、何が起こってんだ?)

中には「カッコいいー」という子までいた。

それも、わざと聞こえるようにだ。

先ほどまで「団長なんて引き受けるんじゃなかった」と捕らえられた宇宙人の如く落ち込んでいたが、急に口元が緩みだし、ニタジー(にやけ顔)が止まらなくなった。

「だ、団長になってマジ良かったぁーん…(ToT)」

ムカつくほど現金な奴だった。

その日から、人生初のモテキを迎えたこの男は、勘違いしまくりながらハイスクールライフのラストスパートを駆け抜けていく事となる。

その後に待ち受けている真の恐怖も知らずに。

後輩女子の熱い視線を受けながら応援中の著者♡

ドラゴン危機一髪

こうしてモテモテ人生を堪能しながら、後は卒業式を迎えるだけとなったフリムン。

しかし、その前に行われた期末テストで、何と全教科「赤点」という偉業を成し遂げてしまった。

亡き父が残した「走り高跳び」の八重山記録とは真逆の偉業である。

当然、全教科のティーチャーに呼び出しを食らい、お説教の雨嵐である。

「あのなぁ~お前、このままだと卒業できないぞ」

「す、すんまそ…」

「後1年留年するかぁ?」

「そ、それだけは勘弁してくだせぇぇぇぇぇ( ;∀;)」

「ならばノートを提出しろノートを」

「ノートいっぱいに〇〇を全部書き写せ」

「わ、分かりました。命を懸けて書き写します。ボフッ!」

こうして首の皮一枚で留年を免れたフリムンは、さてどうしたものかと小さな脳味噌をフル回転させた。

そして出した答えが…?

「よし、仲良しの女子たちに手伝って貰おう♡」

事もあろうか「他力本願」を選択したのである。

こうして何とか期限内にノートを提出する事が出来たが、フリムンは一つだけ大きなミスを犯してしまっていた。

何とノートを写す作業を複数の子にお願いしていたのだ。

先生方は、このトリックに即座に反応した。

「な、なんだこの女子みたいな丸っこい字は?」

「は、はい?」

「お前は教科ごとに字体が変わるのか?」

「は、はえ?」

「納得いく説明をしろっ」

「教科ごとに気分を変えながら書き写したもので…ピエン」

「わ、分かったからもう帰れっ、腹立つわぁ!(笑)」
 

今回も先生方の手放しの愛により事なきを得たフリムン。

本当に運だけは常に付いて回るラッキーボーイであった。

こうして高校生活を自らの力ではなく他力本願で終わらせる事となったフリムンだが、このオチョーシ者の運命が、今後どうなっていくのかは神のみぞ知るであった。

 

団長最後の仕事に従事する著者(隣りは副団長)

卒パ

あっという間の三年間であった。

辛いことや悲しいことが無かった訳ではなかったが、思い出せないほど楽しいことが多過ぎた。

超ボンビーである事と、どうしても勉強が好きになれなかった事から、卒業後は最初から進学など考えてはいなかった。

これからは一社会人として大人の世界で生きて行こうと決意。

もう大好きな友人たちとも簡単には会えない。

ここから起こる諸々は全て自己責任。

誰も助けてはくれない。

そんな事を考えている内に、次第に不安が膨らんでいき、“ちょっぴん”だけ怖くなってきた。

信念を貫き通し、毎日遊び呆けてきたので働くという概念が完全に欠如していたフリムン。

「本当に俺は社会人としてやっていけるのか?」

祖母や親戚と話し合った結果、取りあえず当面は本島に住むオジサンの職場でお世話になることとなった。

そうと決まれば島を出るギリギリまで遊び倒さなければウソである。

そうフリムンは答えを出した。

本当に最後の最後まで懲りない男であった。

こうして卒業後は毎晩「美崎町」へと繰り出し、友達と酒を飲み、語り合い、そして抱き合って涙した。

「俺たち一生友達なっ…ピエン」

「みんな元気でなっ…ピエン」

「絶対にまたいつか会おうなっ…ピエン」

そう言ってハグをして別れては、翌日また同じメンバーと飲み語り合った。

(なんじゃそりゃ)

卒業後、毎晩飲み明かしていた酒場にて。

そんな事が一週間以上も続いたであろうか。

進学や就職で一人、また一人と島を飛び立っていき、あれほど大人数で繰り出していた夜の街も、最後は数える程となった。

そして迎えた最終日。

翌日、島を飛び立つフリムンにとって、これが最後の送別会となった。

当然、飲み会はエンドレスに続き、流石にお店側から退散を言い渡されたその帰り道であった。

原チャリで来ていた彼は、仕方なくバイクを押しながらトボトボと歩いていたが、流石に疲れてきたのか、思わずエンジンを掛けてしまった。

そして、バイクに跨ったその刹那、後方からけたたましいサイレンの音が鳴り響いた。

「はい、そこのバイク、停まりなさいっ!」

こうしてギリギリまで周囲に大迷惑を掛け続けたフリムンは、翌日、親戚のオジサンの待つ沖縄本島へと飛び立っていった。

窓から見える、慣れ親しんだ島の夜景に涙しながら。

空港まで見送りに来た友人たち。最後の最後までセンターは譲らなかった。

羅針盤

野球も諦めた

功夫も諦めた

空手も諦めた

恋愛も諦めた(いやそれはない)

勉強なんて早い段階で諦めた(それは間違いない)

そんな諦めることに飽き飽きした頃、フリムンは諦めることを諦めることにした。(ややこしいわっ)

「俺はもう逃げない」

「逃げるのは卒業だ」

「俺は空手王になる」

そんなルフィみたいな事を言ったかどうかはこの際置いといて、この日から彼の人生の「羅針盤」は、極真会館総本部のある東京池袋に向けられた。

高校を卒業してから、そしてオジサンの職場で働き出してから、丁度一年目の事である。

それから38年後の2022年。

母校Y高の80周年を記念し、卒業生によるリレーエッセイが地元紙に掲載される事となった。

そのメンバーの1人として、何と彼にも白羽の矢が立った。

高校卒業時には、誰も想像し得なかった奇跡である。

依頼があった直後は、あんなにもヤンチャで自由過ぎた自分が、並み居る先輩方を差し置いて本当に大丈夫かと悩んだ。

しかし、「こんな私でも後輩たちに伝えられるものがあれば」と即断即決。

二つ返事で承諾した。(早っ!もう少し粘れっ!)

ちなみにその時のエッセイがこれ↓である。

人間、変われば変わるものだという例えの象徴である。

 

こうして、生まれて初めて県外に飛び立ったフリムン。

一念発起した彼の夢は果たして叶うのか?

沖縄を飛び出した空手フリムンに降りかかる“あれやこれや”に、乞うご期待!!

『上京編へ続く』


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この記事を書いた人

田福雄市(空手家)
1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。
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