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#40 「何者」かどうかで判断しない心をもとう

わたしの「グラレコ風自己紹介」(自分の価値観やストーリーを紙1枚にまとめる)を作成する上でとても大切なマインドを教えてくれるnoteに出逢いました。

相手の自己紹介に「(んー、でもそれ◯人も使ってないからな)」って思ってしまった自分に愕然としました。経済性とか効果性とかとは違うところにも大切なものがたくさんあって、それを大事にして生きていきたいにも関わらず思ってしまったからです。

グラレコ風自己紹介の依頼をうけるとき、大体2パターンの方にわかれます。

・すでに何かしらの発信や取り組み、資格取得などをやっていて実績がある人

・発信などは全くしていない or  しているけど手応えがない人

おそらくその時点では、前者の方は「効果的に何か行動できていて、何者かになっている人」、後者の方は「何者でもない人」に分類されてしまうのでしょう。



グラレコ風自己紹介をつくるとしたら、ぱっと見、何者かになっている人の方が楽かもしれません。その人を表すキーワードが、わかりやすくみえている状態だから。

でも、何者かであったとしても「効率的に何者かになるための行動をするのが得意な人」なだけであって、自分のココロの真ん中には気づけていないかもしれない。表面的な実績は出ていたとしても、本人のありたい姿には近づいていないかも。

また何者でなかったとしても、まだ言語化しきれていないとても魅力的な想いがあるかもしれない。

だから、大切なのはわたしがグラレコ風自己紹介を作成する際、「何者か」のあるなしを、誕生日や星座と同じくらいの一情報として取り扱うことだなぁとしみじみしたのでした。


ぱっと見、パワフルな情報に踊らされない。

フラットに、ゼロベースで対話していく。

ゼロベースの対話がしたいからこそ、グラフィックレコーディング(グラレコ)に魅力を感じているわたしにとっていま一度大切にしたいマインドです。感謝!

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