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グラデーションの中、一点の周りを表現したい

noteやtwitterを始め、大学や日常会話など、あらゆる所で「表現」をしています。

その表現をする時に、どうしても「簡略化」をしている気がします。

自分の考えが、少しでも相手に伝わるように…。
こうすることで、「伝わった」という喜びは感じられるようになっています。

僕も、「分かりにくい」と言われて人に離れられるのが好きじゃないし、言葉選びには気を使っている自覚があります。

「簡略化」による犠牲

ただ、簡略化のために「易しい」物を使うこと。
簡単な言葉、具体的な形…

それを使ってしまうことで、自分が本当に伝えたいことが、隠れてしまっているような感覚を感じるようになりました。

具体的な物、みんなが理解できるものは、「個人差」が消されがち。

そうして互いの理解が進んでも、違いに気づいた時、「仲間」が減った感覚を感じてしまう時があるような気がします。
僕は、それを時々感じます。

違いがあるからグラデーション

グラデーションは、点と点を見ると、違いがあります。
でも、遠目で見ると、「何となく同じ」だと思ったり、複雑さ・深み・多様性と呼ばれるような「良さ」が出ています。

これを、「僕」など「人」を表現する時にも使って行けたらいいなと思っています。

もちろん、グラデーションが絶対に良い訳でもないです。(熱血、とか一直線、と表現される人もまたカッコいい。)

グラデーションを、点ごとに細かく理解する必要もないです。(そのようにして、「完璧に理解した」と言える事はほぼ有り得ないと思う。)

自分が使う表現の幅も、自分が受け止められる表現の幅も広げられること、頭の中から消えないよう大事にしていきたいです。

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