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何度「独り」になっても、僕は「仲間」を探している。

「一人」は単に「人数が1である」ことを表し、「独り」は「その人以外の人が居ない」という「孤独、独立」といった言葉にも通じる意味を表すそうだ。

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僕は、「誰か」の色に染まるのが怖い。
強制されることが怖い。
それらを避けるため、僕は「独り」でいることを選ぶ。

今、人間は、日常生活の中で、沢山のグループ、集団の一員として過ごしている。
僕の場合、家族、大学、アルバイト先、サークル、社会的団体、日本という国家…
その他いろいろ、数え始めたらきりがない。

グループにはそれぞれ目指す目標があり、それに向けて足並みを揃えることが必要なときがある。
足並みを揃えるためにルールが作られる。

それ自体は問題ないのだが、所属先が増えるとルールも増えていく。
全部のルールに従っていると、自分の行動に選択肢がなくなってしまうように感じるのだ。

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ルールに違和感を感じた時、何とかしてその違和感を消していこうとするのだが、その作業はなかなか疲れる。
違和感の原因を探し、その原因を無くすためにグループ内で議論が行われる。

その作業を毎回のようにしていたら、あっという間に人間としての寿命がやってきてしまう。自分のやりたいことのための議論が、やりたいことをするための時間を奪っていく。

限界を感じた時、僕は「独り」になることを選んでいる。楽だ。軽い負担で済む。

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そうして選ぶ、お気楽な生活は楽だ。楽だが、「一人分」の力って本当に少しだ。「独り」でいるのもやはり大変。
生きていくために、他人の力は必要になってくる。

そうして僕は新しい「仲間」を探し続けている訳だ。

一旦の分析。
ここまで強めの口調で書いてきたが、僕の心の中にこの行動が正しいという絶対的な自信はない。
ふと考えなおした時、未来の僕はこの文を読んでどんなことを思うだろうか。

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ぜひ、皆さんの「仲間」についての考え方も聞いてみたいです。
どんな仲間がほしいですか?
あなたの信頼できる仲間ってどんな方ですか?
そもそも、仲間ってなんですか?

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