30年書きつづけて初めて沸いた文章欲
このところ、うまくなるために書く時間がもっと欲しいと思うようになった。
考えごとや創作に限らず、文章を書くことは昔からずっと好きでいる。
それこそ園児のときに始めたミミズがのたくったようなひらがなの日記(親監修)を含めるなら、文字をつらつらと残した月日は30年より長いと思う。
ジャポニカ学習帳から表紙がきらきら光るリングノートに移った。次第にキャンパスノートに変わり、100円均一の量産ノート、書き心地が抜群のツバメノート、東京は蔵前にある文具店カキモリで作ったオーダーノート、あるいはバイトで捨てておいてと言われたレシートの裏など、紙を問わずになんでも書いた。
パソコンを使えるようになってからは創作が捗った。キーボードを滑らかに打ちまくり、スマホとPOMERAは気分で使い分ける。
ずいぶんと書くことと隣り合わせで過ごしてきたのだけれど、実は「うまい文章が書きたい!」と思ったことがない。
それはたぶん、自分が読めればいい文章を書いてきたからだ。
もちろん外に向けて書いたものはたくさんある。ほとんどが趣味の範囲だ。ネットで公開した作品に嬉しいコメントをいただけたときは感謝の気持ちでいっぱいになる。
ただ、書く技術をあげる目的は外側ではなく内側のわたしに向いていた。
あとで読み返すときに目を通しやすい書きかたを学ぶのも、脳のなかで雰囲気だけがもちゃもちゃしているイメージを文字にしたくて知らない表現をどこかの本から拾ってくるのも、たどり着くのは自分のため。
それがどう転んだのかわからない。いまは人のnoteをめちゃくちゃ読んでいる。
わたしのアンテナがこれだ! と知らせたnoterさんの記事は掘り下げて過去のも読んでいく。この世には面白い文章を書く人が多すぎて追いつけない。
一日に押すスキの数をカウントする機能があったら、このひと月くらいはうなぎ登りだと思う。
わたしにとっての「うまくなる」は「直感でピンときた人のように書きたい」と「より誰かに伝わる、読んでもらえる文章を書きたい」だ。
アクセス数を稼ぎたいとか、褒めてほしいとか、読まれるためならどんな内容でもいいわけではないと思う。書きたくて書いた文章を、客観で見たときの質を上げたいというか。下心が出てきたのだろうか。
まだちょっとぴったりな言葉が不足している気がする。
わたしの「もっとうまく書きたい」にどんなことが含まれているのかを分解したくて、今日も文字を打っている。
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