「相手の立場になって考える」とは、どういうことか?
相手の立場になって考えるとは、「自分が相手ならと、想定して考えること」ではない。認知心理学の本を読むと「心の理論」と「メタ認知」が紹介されるけど、いまひとつピンとこない。
もしかすると……「仮説を立てる(仮説を考える)」ことも、相手の立場になって考えることにならないだろうか。
そもそも「自分がもし相手ならと、想定すること」には、無理がある。
「相手の立場になって」自分がもし相手ならと、想定して考えてみる。すると、「自分ならそう考えない・そんなことはしない」と、自分の思考や感情で頭の中がいっぱいになる。「相手の立場」で考えているつもりが、「自分の立場」になってしまう。
相手の立場になって考えるとは、「心の理論」と「メタ認知」の適用です。
心の理論とは、他者の視点や心の動きを想像することです。
たとえば、教師が生徒の理解度を適切に把握できていないときや、医師が患者の不安を理解できないとき。「心の理論」は、機能していません。
メタ認知とは、自分の意思決定を客観視することです。たとえば、テストの見直しも「メタ認知」です。
……認知心理学の立場からの説明だけど、なんだか強引に説得されているような気分になって釈然としない。
昨日、スキャナで読み込んだ書類を「OCR処理」した。ぼくではなく、コンピュータのソフトがやってくれたんだけど。
何度か繰りかえしても、画像をテキストとして認知してくれない。画像化された文字を、テキスト(文字)に変換するのが「OCR処理」なのに。
黒くなった部分を修正してみてもダメ。諦めようとしたけど、もう一度読み込んだ書類を見てみた。
「あ!漢字にルビがふってある」
ぼく(人間)にとっては読みやすくても、相手(コンピュータ)にとってはノイズになって読みにくくなっているかもしれない。……そう思って、ルビを消してみたら「OCR処理」をしてくれた。
仮説:「OCR処理」にとって、ルビはノイズである。
対応:ルビを消して「OCR処理」をしてみる。
相手に期待するのではなく、相手が気持ちよく動けるために「自分は何ができるか」を具体的に考えて、実行する。
もしかすると……
「仮説を立てる(仮説を考える)」と、相手の立場になって考えることにならないだろうか。もちろん、検証は必須。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?