見出し画像

「期待する人」は自分の暴力性に気づいていない

期待は、期待をする人が「勝手にする」こと。
それなのに、期待どおりにならないと、「当然のように」失望する。
逆ギレして、攻撃的になる人もいる。
相手は、あなたの期待のために生きているわけじゃないのに……。
「期待する人」は、自分の暴力性に気づいていない。

そもそも、相手に「自分が希望する行動」をしてもらいたいならば、まず「自分が行動しなければならない」はずだ。

当たり前だけど……
相手は「期待する人」の希望が、具体的には分からない。

もちろん「分かった」からといって、「期待する人」の希望どおりになるとは限らない。

しかし、「期待する人の希望」が具体的に分からないと、「期待する人の希望」を実現するお手伝いはできない。

相手が「期待する人の希望」を、具体的には分からないのは、相手のせいではない。

分からないのは、[「相手」が悪いのではなく、「期待する人」が相手に「自分が希望する行動」を伝えていないからだ。

「伝えない」理由は、「伝える」のが難しいから。
「言う」のは、簡単。自分の思いを自分のペースで自由にしゃべればいい。
しかし「伝える」ためには、自分の思いを相手のペースを考えて、相手の反応を見ながら、粘り強く話をする必要がある。

そんな努力をすっ飛ばして、「自分の希望」を察して行動して欲しいなんて、あまりにも身勝手だ。暴力的ですらある。

「期待する人」は、自分の希望を伝える努力をしていない。
相手が自分の希望を「察して」、行動するのを望んでいる。
「期待する人」になってはいけない。と、ぼくは思う。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?