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「六本木クロッシング2022展 往来オーライ!」 行ってきた!!感想や考察について書きます!!

どうも、まるです。
今回の記事では、この前行ってきた森美術館の展覧会「六本木クロッシング2022展:往来オーライ!」の紹介や、自分の感想をまとめてみました。

公式ホームページは以下URLから観覧できます。
2023年3月26日まで開催しているので、是非観に行ってみてください!

現代美術を鑑賞するときの自分のスタンス

美術館に行く人は、その人ごとに作品の見方や感じ方が異なるので、実にさまざまな視点があると思っています。
純粋に作品だけを見て何かを感じ取る人や、解説文を読み込んでその作品の背景を読み取ろうとする人、作品一つ一つを深掘りする人や、展覧会全体の構成について考えながら美術館を回る人など、多くの見方があることでしょう。

そんな中で、自分はどのようなスタンスで展覧会を見ているかというと、
基本的には「キュレーターの人が展覧会全体を通して何を伝えたいか」ということを考えながら、展覧会を見ることが多いです。
特に今回のような現代美術の展覧会では、「どのような基準で展示作品を選び、どのようなテーマの展覧会にしたいのか」ということに個人的な興味があります。

現代美術の作品は膨大な数がありますが、その中から展覧会に展示できる作品はほんの一握りしかありません。
キュレーターの方は展覧会が始まるずっと前からキュレーターの方同士やアーティストの方との議論を重ねて、「どのようなテーマを元に展示作品を決定するか」を決めていきます。
そうした努力のもと、どのような作品がどのような理由で選定されて全体としてどのような展覧会を目的としているのか、ということに、自分としての興味があります。
なので、この記事もそのような展覧会全体のテーマに注目した記事となります。

なおキュレーターの方の意図を汲み取る方法としては作品同士の共通点を探すことや、作品の解説文を読むこと、また展覧会のカタログについている論考を読むこと、といったことが挙げられます。

六本木クロッシング展について

「六本木クロッシング展」自体は今回が初めてではなく、森美術館開館の2003年以降、3年に一度開かれている展覧会です。
「日本のクリエイティブ・シーンを3年に一度定点観測する」という方針のもと開催されている展覧会でもあり、また、展覧会自体が多角的な視点の”クロッシング(交差点)”となるよう、複数のゲスト・キュレーターとの共同企画が続けられています。
今回の展覧会も東京、大阪、オックスフォードを拠点とする4名の方々により、共同でキュレーションされています。

六本木クロッシング展そのものの目的として、「まさに今、日本のアートの現場でどのようなものが作られているかを総覧する」わけですが、ここで二つ、疑問点が出てきます。
一つ目の疑問として、当然ながら「日本の”まさに今、現代の”アートにはどのような特徴を見出せるのか」ということ、
もう一つは「そもそも”日本の”現代アートを語る上で、日本というものをどのように考えるか」ということです。

一つ目の日本の”現代の”アートに見出せる特徴について見てみましょう。
現代アートでは直近の大きな出来事を反映することがよくあり、リーマンショック、東日本大震災、福島原発問題、そしてコロナウイルスによる社会への影響など、多くの出来事がクリエイティブ・シーンに影響を与えてきました。
これは、このような出来事を反映してアーティストの方が意図的に作品を作ることがありますし、アーティスト自身は意識していなくても、キュレーターの方が社会の出来事との関連を見出して展示作品として選定する、ということが考えられます。
ここ最近の大きなテーマとしてはコロナウイルスによる社会への影響が挙げられますが、後で説明するよう、「往来オーライ!」というサブタイトルもこのコロナウイルスから強く影響を受けています。

二つ目の疑問として「”日本の”現代アートを考える際、日本というものをどのように考えるか」という点をみてみましょう。
なぜ改めて日本について考えなければいけないかというと、現在の日本には多様な民族が暮らしているためです。
2021年の時点で、在留外国人は282万人余りですが、沖縄やアイヌの人々、帰化した日本人はこの数字には含まれないので、実際には本土日本人以外のルーツを持って日本に住む人の数はもっと多いことになります。
アメリカやイギリス、オーストラリアと比べれば多民族化の度合いは少ないとしても、とはいえ日本と単一民族国家というのはなかなかに難しいでしょう。

私自身は前回、2019年のクロッシング展も行ったのですが、この”日本とは何か”という観点は今回の展覧会ではより強く考えられていると思いました。

以上で触れた二点、つまり日本の”現代”アートとは何か、という点と”日本”の現代アートとは何か、という二点は本展覧会に関わらず、今までの六本木クロッシング展全体に共通するテーマであると言えます。

本展覧会のテーマについて

さて、「六本木クロッシング展」という開館以来の企画全体の説明をしたところで、改めて本展覧会「六本木クロッシング2022展 往来オーライ!」のテーマについて深掘りしていきます。

まずこのサブタイトル、「往来オーライ!」「往来」の部分ですが、キュレーターの方々のテキストを参照すると、これはコロナ禍における「往来」、つまり「行ったり来たりすること」の変化について着目しているようです。
本展覧会では、このコロナ禍の影響を「往来」という言葉を通して以下の3つのトピックに分解して、展覧会が構成されています。

  1. 新たな視点で身近な事象や生活環境を考える

  2. さまざまな隣人と共に生きる

  3. 日本の中の多文化性に光をあてる

以下ではそれぞれのトピックについて、代表的な作品と共に紹介していきます。

新たな視点で身近な事象や生活環境を考える

「往来」を、「自身の身近な行き来のあり方の変化」と捉えた時に出てくるトピックです。
移動制限による自宅での滞在時間の増加を中心に、コロナ禍によって身近な事象や生活環境を強く意識するようになりました。
本展覧会の作品にはこうした身近な事象やその変化を捉えたものが多くあります。

例えばやんツーさんの作品「永続的な一過性」を見てみましょう。

永続的な一過性 Installation in Progress 2022

これは、自動搬送ロボットが背後にある展示物からランダムにオブジェを選択し、運搬して展示台に載せ、それを下ろして元の棚に戻す、という作業を
全て自動的に、延々と繰り返す、という作品です。
モチーフになっているのはコロナ禍で技術の加速が進んだEコマースや物流業界の自動化です。
現在、物流倉庫はコロナ禍でのネットショッピングの急増と感染防止対策のために無人化・自動化が急伸しましたが、それとは対照的に美術業界では、コロナ禍を経ても手作業での展示作業という伝統が守られています。
この二つの相容れない対象を組み合わせることは、美術業界の非効率性に対して一種のアイロニーと捉えることができるでしょう。

市原えつこさんの作品「自宅フライト」は、とてもユーモアのある作品です。

自宅フライト In-flight meals during quarantine life 2020

コロナ禍において、国際線が機内食を食べる機会がなくなり、その寂しさを埋めるために自宅で自作の機内食を楽しむというパフォーマンス作品です。
この作品はTwitterを中心としたSNSで流行ったことからNHKでも取り上げられ、真似する人も現れる、といったように多くの人に影響を与えました。

さまざまな隣人と共に生きる

「往来」を「隣人たちの日常の行き来のあり方の変化」と捉えた時に出てくるトピックです。
コロナ禍がもたらした変化は、個々人の属性や家庭環境、社会的状況により様々です。
社会人の方で言えば、リモートワークが中心になった人もいれば、コロナ禍を経ても毎日出勤が必要となる職種の人もいるでしょう。
マスクの着用が社会的に当たり前となる一方で、病気や身体的理由によりつけることができない人や、子供にマスク着用を強要することの是非を巡る議論など、マスク一つ取ってみても人により事情は異なります。
このような意味で、コロナ禍は私たちの周りに多様な隣人がいることに気づかせてくれます。
本展覧会においても、この「多様な隣人」について改めて考えるきっかけとなる作品がいくつもあります。

松田修さんの「奴隷の椅子」は、映像を中心としたインスタレーション作品
です。

奴隷の椅子 The Slave Chair 2020
(展覧会HPより)

映像では、作者の母親と思しき画像が映像加工によって不気味に動き、自身の半生について語っていきます。
風俗街近くの小さなスナック「太平洋」を営みつつ、3人の子供を育てながらの困窮した生活、3回の離婚や親の認知症など、彼女が直面した厳しい現実が話されます。
本展では近年閉店した各地の店舗で使われていた什器や備品が映像と共に展示されていますが、それは私たちのすぐ近くで「太平洋」のような事例が起きていることを示唆しているのかもしれません。

「ダイバーシティ」や「LGBTQ+」といった言葉を意識した取り組みは非常に多く増えてきましたが、一方で、そうした言葉の影に隠されてしまう、もっと見えにくい差異もそこには存在します。
アーティスト・ユニット、キュンチョメの作品「声枯れるまで」は
LGBTQ+のリアルな心情を浮き彫りにします。

声枯れるまで Until My Voice Dies 2019
(展覧会HPより)

この作品では、自分の名前を改名したLGBTQ+の方への入念なインタビューのもと、生い立ちや昔の名前に対する違和感、新しい名前の由来、改名時の両親の反応など、葛藤や希望を語ります。

日本の中の多文化性に光をあてる

「往来」を「日本国外からの民族の人流」と捉えた時に考えられるトピックです。
コロナ禍で海外からの人流が途絶えたにも関わらず、海外にルーツを持ちつつ日本で生活している人たちの姿を目にします。
振り返ってみると現在の日本は、アイヌや沖縄の人々、中国系、コリア系といったさまざまな民族が政治的変化や複雑な歴史を経て共に暮らす場となっています。
インバウンド・ブームの陰で見えにくくなっていたこの事実がこの日本国外からの人流が途絶えたことにより、より見えやすくなったと言えるでしょう。
本展覧会では、そのような中で日本の中の文化的多様性に焦点を当てた作品もあります。

池田宏さんは今日を生きる北海道のアイヌの人々の肖像を写真に収めています。

AINU 2019-2022 2022
(展覧会HPより)

アイヌという民族的バックグラウンドを持ちつつ、さまざま職業について生活を営んでいる被写体は「アイヌ」という一つのカテゴリーに収めることが困難とも思え、個としての多様さが表現されています。

石垣克子さんは米軍基地のある沖縄の風景のありのままの姿を絵画に描きます。

嘉数高台公園からの眺めV View from Kakazutakadai Park V 2022

青、白、緑を基調に展開される風景は誇張されず、美化もされず、肯定でも否定でもなく、同氏から見た誠実な街の姿です。
いま自分が暮らす街の様子を表すためには、同氏にとって米軍基地の存在は避けては通れなかったのでしょう。

考察:本展覧会で伝えたかったこと

本展覧会でキュレーターの方々が伝えたかったことは果たして何だったのでしょうか。
自分なりに解釈した、今回の展覧会の目的を一言で表すと、以下のようにまとめることができます。

コロナ禍が与えた変化を『往来』という軸を基に『自分自身』『隣人』『民族』という大小異なる3つのレイヤーから見つめ直し、パンデミックが発生しなければ気づけなかったさまざまな変化を発見できることをポジティブに捉え直す

この「ポジティブに捉え直す」という部分は「往来オーライ!」という駄洒落の入った展覧会のサブタイトルにも現れています。
コロナウイルスにより、罹患して苦しむ人もいれば、健康な人も外出は制限され、さまざまなイベントに入場規制はかかり、何かと悲観的に捉えられることの多いコロナウイルスですが、「流行してしまったものは仕方がない、それよりコロナウイルスにより起こった変化を受け入れて、もっと楽観的に笑い飛ばし、未来を想像するためのきっかけになるようにしてみよう」という呼びかけがこの能天気な駄洒落のサブタイトルから伝わってくるように思えます。

おわりに

「往来」を軸にした展覧会の最後には、青木野枝さんの新作「core」が展示されているのは、とても粋な計らいだと思いました。

core 2022

core、つまり核と名付けられたこの作品は、水蒸気が水や氷の粒に変わり核となって出現する雲が念頭に置かれているとのことです。
水や氷の粒やさまざまに行き交い、予期もしなかったような雲の形を作り出します。

コロナとの共生の道を辿り、人々が往来を取り戻した時、そこにはどのような景色があるのかは、まだ分かりません。
ただ、往来のある未来がどのようなものになるか、想像することだけは可能です。
今回の展覧会を通じて「往来の変化」について新たな発見をすることができた私たちであれば、きっとその先の未来についても思いを馳せることができるでしょう。
「六本木クロッシング2022展」は楽観的で希望に溢れた未来への想像を手助けしてくれる、そんな展覧会だったように個人的に感じました。



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