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プログラムノート: モーツァルト『フルート四重奏曲第一番』

Wolfgang Amadeus Mozart
Flute Quartet No. 1, K.285
(Flute, Violin, Viola and Violoncello)

かなしさを味わうために涙を流す必要がある人々には、モオツアルトのかなしさは縁がない。確かに、モオツアルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。

小林秀雄『モオツアルト』


 1777年、職を求めてパリへ向かう途上、マンハイムを訪れた21歳のモーツァルトは、宮廷オーケストラのフルート奏者ヴェンドリンクからドゥジャンという裕福な医師を紹介される。アマチュアフルート奏者でもあったドゥジャンは、高額の報酬を提示し、フルートのための協奏曲と四重奏曲の作曲を依頼した。これに応えて作曲されたのが、ふたつのフルート協奏曲と三曲のフルート四重奏曲である。

 しかし協奏曲第二番はオーボエ協奏曲からの編曲であったこと、四重奏曲も、第二番や第三番では自身のオペラや当時の流行歌からメロディーを借用した箇所が多いことなどから、ドゥジャンは報酬を減らし、当初の半額以下しか支払われなかったという。

 1778年に父レオポルト・モーツァルトに宛てた手紙では「フルートという我慢ならない楽器のために作曲しなければならないとなるとうんざりです」と書いているが、これが自信のなさから漏らした言い訳だったことは父には見抜かれていた。パリ行きを渋りマンハイムに居座る息子に対して父は「ヴェンドリンク氏に揶揄われているだけではないかね。ドゥジャン氏が払った報酬も、お前の手抜きのせいではないのか」と叱責している。こののちモーツァルトは、マンハイムでも職は得られず、ようやく向かったパリでは同行する母を亡くし、失意のうちにオーストリアへ帰ることになった。しかしそのパリ時代にも、フルートとハープのための協奏曲といった名曲を書き上げており、「モーツァルトのフルート嫌い」も冗談と見てよいだろう。モーツァルトの、愚劣とさえ言ってもいい生涯と完璧な藝術の不調和を、我々にはどうしようもない。

 詩人のアンリ・ゲオンは、フルート四重奏曲第一番K.285を次のように評している。

第二楽章では蝶が夢想している。あまり高く舞い飛ぶので紺碧の空に溶けてしまう。
控え目なピチカートに支えられながら流れるフルートは、陶酔と同時に諦念を、言葉も意味もないロマンスを表している。魂を満たす赤裸々で純粋な音。
短いリトルネロを繰り返す活気をもった終楽章ロンドには触れまい。
それよりもアレグロは、ある種の表現しがたい苦悩で、テンポの速さと対照をなす軽やかな悲しさを響かせる。
この晴れやかな陰影はモーツァルトにしか見られない。

アンリ・ゲオン『モーツァルトとの散歩』


 小林秀雄は、弦楽五重奏曲第四番K.516に関してこの表現を引用しているが、若い苦悩の日々に書かれたフルート四重奏曲第一番にこそ、モーツァルトの藝術の真髄が萌芽として表れている。こんなにも軽やかな悲しさを書くことのできた作曲家は、後にも先にもモーツァルトしかいなかったのである。

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