ジョン・ケージ論(はじめに)
二十世紀は藝術にとって激動の時代だった。十九世紀以前と比べれば遥かに目まぐるしい速度で多様な藝術運動が展開し、藝術における作品の概念が哲学的な考察の対象となった。
音楽におけるそのもっとも顕著な事例は、ジョン・ケージ(1912-1992)の1952年の作品、『4分33秒』だろう。演奏の開始から終了までの4分33秒間、演奏者が一切の音を鳴らさない作品である。
ケージの活動が革命的だったのは、音楽に偶然性の要素を徹底して導入したこと、さらに言えば西洋クラシック音楽の伝統への反抗において、急進的な役割を果たしたことにある。噪音と楽音の区別を廃して音素材を拡大し、また『4分33秒』において沈黙を「発見」し音楽に導入した作曲家という認識が平均的なジョン・ケージ像だろう。
しかしそのような活動の背景にあったケージの理念や目標とはいかなるものであったのか。ケージの作品には偶然性や噪音を用いたもののみならず、むしろ伝統的な記譜法に則って書かれたものも多い。一見したところ相反するこの作曲家の活動にはどのような理念があったのか。
ポール・グリフィスによれば、ケージの活動は「藝術的自己放棄」の過程である*1。活動の最初期からケージは創作行為を個人的な嗜好から切り離そうとする態度を取っていたが、そのような姿勢は弁別的な作曲様式の不在という状況を生み出した。ある特定の作曲法によって作品と作曲家とが互いに規定される事態を防ぐために、自ら創り上げた作曲法が完成し、あるいは別の作曲法の基盤として成立すると、すぐに新たな作曲法に乗り換えるということを繰り返してきた。
このnoteでは、ケージの作曲技法の変遷を見たのち、それに続けて藝術における作品概念の分析と、同時代のリオタールに代表されるポストモダンの藝術論において二十世紀の藝術がどのように論じられてきたかを概観し、またポストモダン藝術論の問題点を指摘して、現代における音楽作品の条件を考察する。
*1 Paul Griffiths, 堀内宏公訳、『ジョン・ケージの音楽』、青土社、2003、p. 13.
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