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歌に関しての考察メモ② パヴァロッティのハンカチ

 ルチアーノ・パヴァロッティというテノールがいる。彼は、「King of hige C」の異名を持ち、テノールの超高音三点ハ音を、軽々と、そして誰よりも力強く出してことで、そう呼ばれている。

 残念ながら2007年に、逝去しているが、亡くなる前年、トリノオリンピックの開会式で「Nessun dorma」を歌ったのは、多くの人々の記憶に残っていることと思う。

 後日、パヴァロッティの歌唱は、録音によるパフォーマンスであることが判明した。この時のパヴァロッティの体はすでに癌に冒されていた。肉体が完全ではなく、しかも、非常に寒い中で歌わなければならなかった。彼が、歌唱を行うにあたり、自信を持てずに、録音による演奏に切り替えたことを誰も責めることはできないだろう。

 その録音ですら、全盛期のものでなく、数日前に録音したものを使用したとのこと。改めて、彼の歌唱の素晴らしさを堪能できる。

 さて、彼のリサイタルを見た事がある人は、ある「特徴」に気付くだろう。その恰幅の良い体や、その力強い目からくる圧力ももちろん彼の持ち味の一つだが、それ以上に人目を引くのは、パヴァロッティの「ハンカチ」である。パヴァロッティは、左手にハンカチを持ちながら歌うことが多い。個人リサイタルでは特にそうだ。そして、右手は、ピアノに添える。

 右手の動きは理解できないではない。彼は、自身の肉体をピアノに預けて、肉体のバランスを取ろうとしているのだ。

 では、左手の動きは何か。そのハンカチは何を示しているのか。ハンカチは、指の間のわずかな力によって、その手に握られている。ハンカチは自重によって、だらりとその頭をもたげ、力なくその場でたゆたう。それは、右手の「支え」に比べれば、あまりにもつたない「非力」さを露呈する。

 ハンカチは、ただ、体の反応によって移動する。歌唱時のわずかな肉体の動きによって、ハンカチは反応し、微細な運動を見せる。ハンカチは、体から大きくはみ出していて、本来的には、肉体の有り様とは全く関係のないものだが、しかし、どうだろう。このハンカチを一つ、肉体の一部に付与することによって、肉体の微細な緊張をハンカチを通じて感じ取ることができるのだ。 
 ハンカチは、揺れる。それは必然だ。肉体が動く時、ハンカチも動く。歌う際の微細な筋肉の動きが、ハンカチを通じて可視化される。何もないままならば、気付くことのできなかった。

 微細な運動の態様が、ハンカチというアイテム一つを備えることによって、見事に感得することができるのである。もちろん、その運動は本当に微細であって、本人以外には、その動体としたのエネルギーの変移を感じ取ることはできないものだ。しかし、膨大な運動を処理しなければいけない歌とう観念的な言語ゲームにおいて、それらの個人的な感覚をどう処理していくのか、それは実に大切なことであり、また歌唱技術を論ずる上では、十分に議論がなされていない部分の一つだろう。

 右はピアノをつかみ絶対的な「固定」を覚え、それに対して、左にはハンカチを握り、肉体の「揺曳」をつかみ取る。この「剛」と「柔」こそが、肉体の呼吸を整理していくこと上で非常に大切なことなのだと思う。 

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