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やってて良かったと思う事

バレーボールの指導者になってまだ6年ほど。
こんな未熟で下手な指導者の元に子供を預けようだなんて、
ちょっとちょっと大丈夫?
なんて思ってたり。

指導者になる前、
上の子の習い事に付き合う保護者で。
送迎だけじゃなくて、
練習中もずっと観てた。
監督へのボール出しとか、
球拾いとか、
できることをやって。
一緒に混ざってサーブ打ったり、
レシーブも混ざってみたり。

そんな中、
監督が入院することになった。
70過ぎのおじいちゃん監督。
癌を患っていて。

いない間お願いします、って。

当時いた部員が、
監督不在で活動することになる。
わたしは、
いることはできる。
指導はできない。
資格もそうだけど、
バレーボール経験は授業と遊びのみ。
不安でしかない。
でも監督が戻ってこられるまでは、
部を守らなきゃなぁって、
とにかく資格を獲った。
練習は球出しして、
メニューの指示出して。
技術に関してはほとんど言えない。

実はコーチがいて。
二人。
その人たちが監督代理すれば一番良い気がするけれど、
私が譲れなかったのは、
「いつもいる」人になりたかった。
おじいちゃん監督は、
練習に行くと、
いつも体育館前のベンチに腰掛けて、
子どもたちを待っている。
それは安心感を抱かせてくれる。
その人が突然いなくなることで、
子どもたちが不安定になるのを避けたい。
監督代理として、
「いつもいる」人になりたかった。
コーチは「いつもいる」わけでは無い。
仕事が終わってから来るから、
平日は後半1/2〜1/3くらいしかいれない。
週末は休みを割いて来てくれるけど、
仕事で来れなくなることも多い。
仕事だから。
仕方ないから。
子どもにとっては、
結構平気そうに、
普段通りの練習してる。
けどやっぱりフワフワしだす。
小学生だもん。
当たり前でしょ。
だから、
その役目、
わたしが引き受けます。
監督にバトンを返すまで。

結論を言えば、
バトンはわたしの手中にずっとある。


おじいちゃん監督は亡くなられた。
もう不安でしかなかった。
返せなかったバトンをどうしようか。


でも当時、
少しメンバーが増えていて。
わたしがド素人ってことも知ってて。
まぁ、
ちゃんと技術指導できるコーチ陣がいたから、
なのかもしれないけれど。
とにかくわたしは、
もうバトンを放すことはできなくなった。
「いつもいる」人はわたししかできない。
この体育館に子どもがくる限りは、
バトンをしっかり握っていよう、と。

日中の仕事を見つけた時も、
バレーボールが優先になると、
面接時に伝えておいた。
平日2日ほど少し早く帰ること。
土曜日は午後練があるため出社不可なこと。
(ちなみにまだ離婚前)
(夜間のバイトもしていた頃)
「いつもいる」人を目指すため、
この条件だけは譲れなかった。
(ほんと我が子には申し訳ない。)


とまぁ、
その譲れないものだけはしっかり守って、
6年間色々ありながらもここまでこれた。
しかも子どもが途切れない。
なぜかな~。
まぁいいんだけど。
卒団していった子は、
現時点で13名。
みんな大体、
卒団して1年くらいは顔だしてくれる。
でも次第に来なくなる。
そんなもんです。
でも来てくれると嬉しい。
二度と足を踏み入れたくない場所になってなくて。
わたしの顔見ることになっても大丈夫。
そんな場所でいられてる。
それが嬉しい。
この間も、
3年前に卒団した子が来てくれた。
受験前なんだけど、
ちょっと息抜きに来てくれた。
その前にも別の子が来てくれた。
中学ではバレーボール選ばなかった子が、
高校でまたバレーボールやろうかなって。
嫌いになってなくて良かった。

これからも、
可能な限り「いつもいる」から、
たまに顔見せてね。

3か月後、
また5名の子を送り出します。


最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

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