【自己分析】学びと集中力 - 俺だ俺だ俺だ

子供の頃から何度か自分が自分じゃないみたいな集中力を発揮する時期がある。
今ふとその状態に入れてしまった。どんな状態なのかを表現し、その上でもこれまで集中力が切れてしまう時の特徴、そして最後に今思いつく限りでの今後の対応方法を勘案したい。
一番初めに読んでくださっている方にお礼を申し上げさせていただきたい。日々読んでくださり、ありがとうございます。駄文も多いと思いますが、今後も書き続けていき自己表現を高めていきますのでご贔屓にお願いします。今日の投稿に関しては読んでいただいた感想やアイディアがあればコメントいただけると幸いです。

では、書き始めます。

どんな状態なのか

今入っている集中力の状態は、寝食を忘れ一つのことに没頭する状態、頭は冷静だけどアイディアが溢れかえっていて心臓は高速に動いてる。この集中は数時間の集中力ではなく、数日から数ヶ月にかけて持続することもある。アドレナリンのようなものが身体中に充満し、冷静だけど、情熱的に次から次にあれがしたいこれがしたいと頭の中で湯水のごとく考えが溢れる。マトリックスの有名な銃弾を回避するシーンのように、周りの音や行動が全てゆっくりになり、自分一人だけ高速で動けるような状態。ちょっとうまくイメージが湧いたかわからないが、とにかく寝食を忘れ疲れて動けなくなるまで没頭している。

今何にそんなに没頭しているのか?それはこのnoteを日々書いていくこと。
書き始めた理由は表現方法を身につけたいと思ったから。近い将来自分が今勤めているコンサル会社でマネージャーになったことを想像し、またその先自分がさらに飛躍していくために自分の考えの精度を高めることと人に伝えるために書くことはとても有意義だと感じた。なので書き始めた。だが、毎日書いていく中でそのモチベーションが下がることを感じたのも事実であった。なんで書くネタもないのに書かないといけないんだっけ?だったりnoteってサービスを使って書くのが本当に将来の役に立つのか?などモチベーションを下げる考えが頭の中に沸き起こったからだ。

今はこの書く行為、いや創作する行為に対してのモチベーションが沸々と上がってきている。それはこれらの疑問に対して考え続け、なんか意味ありそうと思え始めてきているから。ネタがないのに書くことに関してはサーファーが波がなくても海に行くのと同じでいけば何かしら発見があるはずというマインドセットで片付けている。これだけであればここまで集中できなかったであろうが、もう一つの疑問、なんでnoteで書かないといけないんだっけ?についていま答えを出そうとしている。その中で集中力がどんどん上がってきている。noteについてよく知らなかったが、クリエイターを支援するためのいろいろな施策を行っている(読んでくださっている方にとっては釈迦に説法かも知れないが)。クリエイターエコノミーを牽引するとしてクリエイターファーストでそのサービスを改善し続けており、何も知らなかった自分にとってはますます書くのに良さそうなプラットフォームだなと感じ始めている。また改善点や将来のトレンドとしてこのサービスが残るのかについても意見が出始めている。詳細はまだまとめ切れていないので今後スライドかnoteで投稿などしたい。

まとめると、私は今、noteで書く行為を続け始めその創作の面白さ、noteのプラットフォームの凄さに気づき始め興奮と共に集中力が湧いてきている。

これまでにもあったこんな状態

これまでにもこうした集中力と興奮が入り混じった状態を感じる体験は人生において何度かあった。時系列的に列挙してみたい。
・中学受験の数ヶ月前
・高校2年のころ絵を描くのにハマった時期
・大学受験の数ヶ月前
・大学でダンス動画を見た際
・就活に向けて企業分析を行なっている頃

いずれも昨日のことのように思い出せる。簡単にそれぞれどんな感じだったのか書いてみたい。

・中学受験
勉強は全くできない方であった。漢字はかけないし、算数でも九九を一生覚えられないような子供であった。なんで勉強しないといけないのかわからなかったし、漫画を読んだり外で遊んだり気持ちいい日向で寝っ転がっている方がよっぽど幸せな人生だと考えていた。
だが、両親には中学受験をしてほしい思いがあった。(とても感謝である)
ある日、全く勉強しない自分に対して父親は私立の中学に入るとその後一生遊んで暮らせるよ。と教えてくれた。その言葉を聞いた後から自分は方向がはっきりとした合格を目指してできる勉強をそれこそ一心不乱に取り組んだ。朝から晩まで教材を反復学習して学び第一志望の学校に合格し学校の先生に驚かれた記憶がある。この時には出口もはっきりしていたので、合格したあと集中力はぱったり切れ、のほほんとした中学生活を送った。

・高校生で絵にハマったころ
高校生の頃、人間関係に悩んでいた時期があった。そうした頃に見つけたのが絵であった。学校でスタイルがかっこいいなと思っていた人がアートに興味を持っており絵を描いていたことや当時hiphopやグラフィティ、スケートボードなどが流行っていたのでそれも影響していたと思う。人間関係に悩んでいる自分も絵を入り口にそうした世界に入っていけるのではと思ったのだ。母親から絵を描く人が最初に練習するのは手だよと教えてもらったこともあり、ひたすら手を描き続けていた時期もあった。この頃の集中力がなんで切れたのか今考えると原因が複数あった気がしている。一つは大学受験が近いので好きだった女の子含め周りの人たちが受験モードに入っていったため、もう一つはおじさんに絵を見せた時に微妙な反応をされたこと。この辺りが集中力が切れてしまった原因だと思う。何くそ俺はこれで生きていくんじゃ!と言い切れるくらいまで覚悟を決められていればあの頃から今も絵を描いたりその先に広がる世界にいたかも知れないがそうはならなかった。

・大学受験のころ
大学受験の前半、自分は集中力がめちゃめちゃ高くなった。文系選択をしていたので英語国語社会の3科目を勉強すればよかったのだが、周りが高校3年生が開始すると同時に受験モードになるから頑張らないとおいていかれると思った焦燥感を燃料に4月と同時にめちゃめちゃ勉強をした。そうしたらあっという間に5月には偏差値が60近くになっていた。周りからすごいと言われたと同時に今からそんなに頑張っても疲れちゃう。みたいな話を聞いた。その瞬間に確かに本気出せばすぐに偏差値上がるだろうと一気に集中力が途切れた記憶がある。結局そのまま受験まで集中力は上がらず1年浪人生活を送った後に大学に合格することになる。

・大学生活でダンス動画を見たとき
浪人生活の頃にダンス公演を見たことがあり、そこでダンスかっこいいとなり気になる女の子もダンスサークルに入ったのでダンスを始めた。始めたはいいけど、そんな邪な気持ちなので100%集中できていたわけではなかった。友達に誘われてダンスバトルなんかも出たりしたが何をすればわからないまままま恥をかいて終わった。そんな中LesTwinsというダンスユニットをたまたまyoutubeで見つけてたまげた。それまでどのジャンルを踊るのか?とかバトルの勝ち方はこうだとかガチガチに縛られた中で踊らないといけないと感じていたので、こんなにジャンルに縛られず音楽に自由に乗る踊りができるのかと感動して速攻真似したくなり2ヶ月ほど彼らの動きを真似し続けた。この時の集中力が切れたのは人前でそのダンスをバトルで披露して上手くなったと思ったけど、その後大して上手くなっていない自分がいることに気づき何をしていたのかわからなくなり集中力が切れた。

・就職活動で企業分析をしている頃
2015年頃コンサル企業が今後くるのではと感じコンサルティング企業の出しているレポートなどをひたすら読み漁っている時期があった。こうしたことが言える人かっこいいと感じこうなりたいと思って自分の中で正解を求めてインプットをしまくっていた。この際にも集中していたこうした人たちになり将来薔薇色になると思ったから。だが、この際には久しぶりに大学に行き友人と会話して自分の考える価値観がその人のより劣っていると感じた時に集中力は切れてしまった。

集中力が切れてしまう時の特徴

こうしてかいてみると、特徴が見えてくる。
それは誰かに見せた時に集中力が切れてしまうこと。アウトプットした時点でやり切った感じがして集中力は切れてしまう。
自分は目標に向かって自分で目標を立てられるか、他の要因で立った場合インプットに関してはすごい集中力を発揮できることがわかった。が、しかし、アウトプットの際に、上手くいかなかった、または一度のアウトプットがゴールであった場合集中力はそこで途切れてしまう。受験もそこがゴールデなく継続的に勉強するための一つの仕掛けであり自分が納得できていれば今も勉強できていたかも知れないし、ダンスや絵に関しても自分のライフスタイルとしてや続けるいみを納得できていたら今も続けられていたかも知れない。そうした意味で、集中力が切れてしまうのは、次の3つのうちいずれかまたは複数が内的外的な要因で削がれてしまった際に切れると思う。
モチベーション・ルーティーン・目標

今後の対応。こんな自分とどう向き合うか

ではそうした集中力が下がってしまう自分とどう向き合うか。
それは先で述べた削がれてしまう要因に対処すると同義だと思う。
つまり、モチベーションを維持する、ルーティン化する、目標をもつ。このために何をするかである。ただ、結局は目標があるからモチベーションが維持できるわけであり、ルーティン化できる仕組みがあるから続けられるのであって3つ違うことを言っているようで結局は3つがスパイラル的に絡み合っている。
なので続ける仕組みを考えるためのことを注力したい。以前何かの本で変わるための方法について読んだことがある。そこには変わるためには以下の三つを見直すこととかいてあった。
時間を見直す、付き合う人を見直す、場所を見直す。
このフレームで考えると、
時間を見直すだと一日の中でどれだけ今の作業に費やすか、付き合う人だと今のnoteを書くことを理解してくれる人との繋がりをいかに作るかである、最後に場所は物理的なだけでなくネット上のどこにいるかである。

時間に関しては付き合い方をやりながら考えていかないといけないし、やりながら無理のないスタイルを見つけていこうと思う。
付き合う人に関しては今の友人は大切な友人ばかりなので変えたくない。なので自分を変えていかないといけない。つまりなんでこれが自分にとって大切だと思うか自信を持って説明できるまで何度も自分と対話すること。それができない限り人には説明できないし、そもそも付き合ってもらえなくなってしまう。そして最後は場所である。去年自分は目標としてinstagramに毎月投稿することを掲げていた。それは毎月思い出に残るような印象的な経験を歩んでいる人生にしたいと思ったからである。そうした思い出に残る人生は楽しいに決まっているから。去年この取り組みをして外に行く機会はかなり増えた。その中で大切な仲間にたくさん出会えた。その人たちとは今後も付き合っていきたい。同時に自分ももっともっと成長させたい。なのでinstagramっていうsnsにいる場所をnoteに移行することとする。

以上、読んでくださりありがとうございました。

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