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日本独自の「語学習得神話」

「英語話せない」
どこかに出かけると必ず耳にする会話の話題。
隣の席やテーブルでそう話している人々に本当によく遭遇する。
これは私が引き寄せているだけなんだろうか。

いくら何でも
何年も努力を続けて話せるようにならないという
時代が長すぎないだろうか。誰も疑問に思わないことや
思っても見なかったことが原因という可能性をどうして
探らないのだろうとも思う。

私は日本人の能力を持ってして簡単な英会話ぐらいは
2年程度でできるようになるはずだと思っている。
それを難しくしているのは「世界中の人がそんなことをやらない方法」が
まことしやかに信じられていて、そこから離れられない層が厚いから
ではないだろうか。そして、そこから何らかのきっかけで脱却できた一定数の人々が英会話をマスターし、その方法論を紹介している構造に見える。
でもこの両者が共通のものを持っていない場合、この方法は
永遠に噛み合わないとも感じている。

長年、世界中の人がどう語学に取り組むのかを目の前で見てきた。
そして、一周まわって再び日本人の語学への取り組みを見たときに
以前は私にとっても普通だったはずのことが今「日本独自感」を持って
見えてきている。

具体的には「暗記」の捉え方だ。
「暗記」は世界中の人がすると思う。ドイツ人もイタリア人も
どの国の生徒さんもA5サイズぐらいの小さなノートを語彙の記憶の
ために使う。左側には新しく出会った日本語、右側には母国語の訳語。
そして、どうやって暗記するか、記憶に落とし込むか。
今の生徒さんは、例えば、夫婦で車の運転中、飛行機の中
日本語の語彙クイズを出し合うそうだ。あとは繰り返し見るなど。
この辺までは日本でも普通かもしれない。
違いはこの先だ。
次に彼らが準備するものは「話題」
もちろんこれができるのはある程度話せる初級後半以上になるが
完全初心者でも「小さな話題」を準備するのは変わらない。

そして、頭の中にある話題を
母国語から脳内変換して、日本語として話せるかを確かめる。
その時に、「暗記」した最近覚えた言葉が使えるかどうか
それが、彼らの「暗記のゴール」のように見える。
夫婦でクイズを出し合って、単語を増やして
レッスンで話したい話題を説明しながら、
(きた!あの言葉)と言う瞬間に口からそれが
出てきた時に、私の生徒さんは達成感の声を上げる。

日本語を勉強している外国人も試験を受ける。
試験勉強のようなこともする。
ただそれと同時に「話す」と言うことも絶対にやめない。
そして、わかりやすく話す言語化のスキルに乗せて
日本語を話しだす。

私が特に「日本独自感」を感じるのは
「言語化の回路」に「暗記」した言葉をのせると言うことを
やってみようとしないことだ。
暗記したら、いつか何かがつながって、口から
英語が出てくると信じているような気がする。
試験やアプリで正解を選べたら、「覚えた」と言う
達成感を感じ、そこで止まってはいないだろうか。

そしてこれが最も大切だと考えているが
「言語化の回路」があなたにはあるだろうか。
上に述べた何らかのきっかけで「話せる語学」に
転身できた人々はおそらく「言語化スキル」が
元々あったか、後天的に身につけたかだと推測している。
つまり話したいことをわかりやすく伝える感覚が
日本語内にもあり、そこに「暗記」した英語を
のせて、脳内変換して口からアウトプットをすると言う
世界中の人がごくごく普通にやっていることを
やっているだけなのだ。

日本人が特別何かに劣っているのではなく
(むしろ優秀なぐらいだと感じているが)
最も大切な「言語化の感覚」を知らないがために
苦戦している構造に見える。

言語化の回路を何に例えたら、わかりやすいだろうか。
例えば、回転寿司か工場のレーンのようなもの。
世界の語学学習者はクルクル回るレーンにマグロ、サーモン、
イカ、と表現したいことを次々のせて、聞き手に美味しいお寿司を
食べさせることを楽しんでいる。
日本の記憶偏重教育はレーンを回さず、ネタをどんどん
重ねて、これはマグロ、これはサーモン、これはイカと
確認ばかりさせて、お寿司を作る体験さえさせていないように
見える。

言語化の感覚があるかどうかは
日常会話のステージ3あたりを話してみると見極めがつくと思う。
これは音声で聞く方が向いていると思う。
音声配信でその感覚を感じられる内容を話しているので
こちらをぜひご一聴あれ。






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