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多言語話者の「頭の中の教科書」3

3、4ヶ国語を流暢に話す多言語話者を見て、昔の私は本当にすごい、羨ましいと
素直に思った。そして、数カ国語を瞬時に使い分けられる頭の中は一体どうなっているんだろう、一体どうやって?と興味も湧いた。そして、そういう人たちに何十年も日本語を教えてきて、彼らの学びを目の前に見て、知りたかった彼らの頭の中や、どうやって?と言う部分に寄り添ってきた。いつしかそれが私の中で「普通」「日常」となり、「話すために学ぶ」彼らの求めるものに教師として反応できるようになった。そして、実際に「話せる」を達成する人を何人も見てきた。

私が主に深く関わってきたヨーロッパ人の多言語話者は、日本語に取り組む前に
母国語以外の欧米言語を習得してきた経験を持つ。彼らが母国語以外の欧米言語を習得する過程は、そのまま日本人に当てはめることはできないと思う。言語の持っている条件が違うからだ。
でも、彼らが日本語に取り組んで習得している過程は日本人に当てはめることは
できるだろうと思う。ある意味で合わせ鏡のような工程だからだ。

私はいつも言う。母国語以外の欧米言語を習得してきたようには、日本語はすぐに手応えを感じられないかもしれないけれども、慣れるまで少し忍耐強く取り組んで欲しいと。それでも、彼らはやはり彼らの今までの「型」で日本語に挑んでくる。その「型」を抽出して私は日本人に届けたい。日本の英語教育では経験したことがない「型」だからだ。教育が違う、文化が違うと言われれば、それまでだが、この「型」に飛び込むことができる日本人は一定数いると私は思っている。どんな人が飛び込むことができるのだろうか。短く言えば、「思考と言語が直結している人」だと思う。

多言語話者のヨーロッパ人が日本語に挑戦するときに、まさにそれを最初からやろうとしているのがわかる。例えば、会話能力から乖離した資格試験を目標にする人は少ない。短期間に多くの語彙を一気に詰め込む、などと言うことも絶対しない。教科書の例文ドリルもやらないことはないが、それよりも「自分の文」を言っている時のほうが明らかに楽しそうだ。レッスンの初日から自分の言いたいことを、その日学んだ最低限の文法や語彙を使って、とにかく言ってみる、そして伝わるかどうか試し、それをひたすら続けていく。

日本人の英語への取り組みを見ていると目指しているのが100だからとにかく
100をインプットする。インプットすれば、100を使えると思っている気がする。使える人もいるかもしれない。でも、それは日本語っぽい100になっているはずだ。語学の習得はそんなに単純ではない。5インプットして、5話してみるだけでも、二つの言語の違いはとても大きい。5のインプットを自分の言いたいことで練習する。違いを感じながら、経験していく。この小さな積み重ねが「話せる」を達成できる真の過程だ。5インプットして5話せるようになるまでだけでも彼らは母国語と日本語の違いに驚く。文法の簡単さにも驚かれるが、語彙をどう使うかも違う。もちろん誰もが母国語に引きずられる、引き戻される。どんなに違いを知ってもやっぱり話す時には母国語の影響がどうしても出てくる。だけど、この違いを知らずにインプットだけをしたら、完成形は限りなく日本語に近い英語にならないだろうか。次回は「5インプットして、5話してみる」これを実際にはどうやっているのか具体的なレッスン内容を言語化してみたい。


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