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多様性の本質とは何か

皆さんこんにちは、こんばんは。martです。
昨今、多様性という言葉をよく耳にしますね。
僕の会社でも、若手がよく言ってます。
今回は、この多様性について書き綴りたいと思います。
よろしければお付き合い下さい。

まず、僕もよくわかってません。多様性。
Wikiで調べてみましょう。

(以下、Wikipediaより引用)
多様性(たようせい、英: diversity)とは、幅広く性質の異なる群が存在すること。性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なる。 英語の多様性"diversity"の語源は、ラテン語ではdiverstiasに求められ、この言葉は、最初には、一致可能なものに反すること、矛盾、対立、不一致、といった消極的な意味を有したが、第二義的に、相違、多様、様々な形になる、という意味も併せ持っていた。17世紀になって、消極的な意味が失われ、現在のニュアンスになったとされている。また、diversityとは、相異なる要素を有する、もしくはそれから構成される状態であり、そこから更に、異なったタイプの人々をあるグループや組織に包摂すること、とされている。
(引用終わり)

…ふーん。…ふーん?
「17世紀になって、消極的な意味が失われ、現在のニュアンスになった」…
…ん?
前段の「一致可能なものに反すること、矛盾、対立、不一致」がなくなったということ?
でも、「一致可能なものに準ずること、つじつまが合っている、共存、一致」であることは多様性なのかと聞かれると、そんなことはないので、消えたんでしょう。まっさらに。
となると、「幅広く性質の異なる群が存在すること。性質に類似性のある群が形成される点が特徴」と「現代のニュアンス」って曖昧な表現しか残らない。
「性質の異なる群が存在」するのに「性質に類似性のある群が形成されるが特徴」ですから、結局よくわかりません。
性別は異なるけど同じ人間だよ。みたいなことでしょうか。
うーん、定義を明確にしようと思ったんですが、失敗です。
まぁいいや。

さて、現代でいうとこの多様性とは、個人の意見やジェンダー、思想などがみんな違うということかなと感じています。
働き方改革とか、副業とかも含まれるんですかね?

最近、歌舞伎町にジェンダーレストイレってのができたじゃないですか。
家のトイレとか、男女の差なんてないじゃんと思ってたので、何をみんなそんなに騒いでるんだろう?と思ったんですよ。男なら男子トイレ使えばいいじゃんと。
ツイッターのリプ見ててわかりました。盗撮とか強制わいせつに巻き込まれる可能性があると。
しかもあれって、通常の男子トイレ、女子トイレに加えてできたもんだと思ったら、そのフロアのトイレはジェンダーレスしかないんですね。

おお、そうか、誰もみんな正直者じゃないしね。OK、理解した。

っでですよ、LGBT問題の難しいところは、見た目で判断できないということです。
要するに自己申告という定性的な判断しかできず、定量化できないと。

愛情を数値化できないように、定量化できないものはしきい値を設けられないのです。

本当にLGBTの人たちからしたら、大変な世の中だと思います。ジェンダーが違う人が体の性別のみで判断される。女性に男湯に入ってくださいと言っているようなものです。そんな状況ならほとんどの女性が入らないという選択をすると思います。
他にもいろいろ制限もされるでしょうし、気も使うんだと思います。

例えばお前の性別は何だ!?とウソ発見器にかけられるような制度ができたとしましょう。
地獄ですよ。LGBTの人達って、カミングアウトのタイミングだけでなく自認した時もものすごい悩むと思うんです。それを制度だからと強制されるのもおかしいですよね。
となると任意になるわけです。
そしたら任意だからと誰もそんな検査受けませんよ。
でも、権利は認めてあげたいし、でも定量化できないからどうしようというのが、ちょうど今現在なんでしょうね。

ただ、その一方で、もうそれただのワガママじゃんっていう主張をしている人もいますよね。ホントに困ってる?って人。
詳しくは言いませんけど。

ジェンダーばかり話してても胡散臭い奴認定されそうなので、話題を変えます。

これも話題にしくいですが、鬱についてです。

これも定量化できないらしいです。僕の会社でも各部に一人くらいは鬱を理由に休職している人がいます。

僕は離婚を経験しているのですが、子供たちの親権は僕がとりました。
原因が向こうの浮気だったので、慰謝料その他諸々を嫌がって、向こうは裁判になった途端僕からのモラハラを理由に鬱になったと仕事を辞めたんです。
僕と関わるのが嫌で鬱になったはずが、そんな状況でも僕と裁判をする元気だけはあったらしく、結局2年もやってました。
最終的には示談に応じたのですが、鬱を理由にでっちあげ、意図的に収入格差を生じさせたことは非常に悪質とされ、働いてないのに、平均的な同世代女性の年収から養育費を算出をして支払えということになりました。

会社でも、仕事が嫌だからとパワハラをでっちあげる人もいます。
ちょっとめんどくさい業務の担当になったから、何回も寝坊して怒られたから、理由はいろいろです。

生活保護とかもそうですよね。
生活保護受給日は朝早くからパチンコに並び、スーパーの受給日祝い寿司を買って帰る。

本当に全員が困っているんでしょうか?

年金もです。
本当はもう生きていたくない状態に本人がなっていても、手足を縛られ無理やり生かされている。自殺するほども動けない。家族はお見舞いにも来ない。
元義弟の祖母が入院してたんですが、ちょっと良くなって自力で歩けるくらいになったと退院したんですよ。で、週末にお祝いをしようなんて話している時、朝起きてこないからと様子を見に行ったら自殺してたなんてことがありました。遺書には、「入院している時に呼吸用の管を抜いてしまうからと手足を縛られて無理やり生かされている人をたくさん見た。あんなになってまで生きていたくはないし、みんなに迷惑を掛けたくない。自分の死にざまは自分で決める。」みたいなことが書いてありました。
自室で自殺されたら迷惑がかからないわけではないんですが、将来に憂いたんでしょうね。
ある意味ではかっこいい生き方だなと思ったんです。

さて本題です。
今まで長々と書いてきましたが(気分を害された方がいらしたらすみません)、結局は今の世の中、本当に困っている人の影で、多様性という大義名分を掲げ、楽したいだけのゴミが一定数いるということです。

多分、みんな楽したいんですよ。

ズルしてでも楽しようというのは多様性でしょうか?
僕は違うと思います。

ちょっと切り口を変えます。
人間って弱いと思いませんか?
知能が発達したがゆえに、頭が大きくなり、未熟な状態でしか出産できない動物です。
馬みたいに、産まれた瞬間立ち上がることはできません。
それなのに母体にもすさまじいダメージを残します。

また、例えば本気で怒っているゴールデンレトリバーと素手で戦えるかと想像してください。

無理ですよね。大型犬はおろか、柴犬サイズだって大変です。

弱いんすよ。人間。
めちゃくちゃ弱い。

でも知能が道具を生み、知能がコミュニティを生み、数で圧倒するというのが人間のやり方です。
要するに、人間の強みは社会性ということになります。

生活保護や、年金等の源流は、社会性なんじゃないでしょうか。


もう一個切り口を。

刑法ってあるじゃないですか。
殺人罪とか、窃盗罪とか、詐欺罪とかいろいろありますよね。
あれってなんでいけないんですか?
人は殺しちゃダメって言ってるのに、牛とか豚とか殺すじゃないですか。
人から盗んじゃいけないって言ってるのに、鶏が産んだ卵を盗むじゃないですか。
何もないように見せかけるために工夫を凝らした罠で動物を捕まえるじゃないですか。

何がいけないのか。

ズルいのがいけないんです。
ムカつく奴は殺したら楽ですよね。欲しいものは盗むのが楽ですよね。人をだましてお金を手に入れたら楽ですよね。
その「楽」は「ズル」なんです。
知能の使い方をズルいことに使ってはいけないという具体例が刑法なんだと僕は思います。

「噓つきは泥棒の始まり」というのも「嘘=ズル=泥棒」ということです。


社会性を重要視する弱小生物「人類」は、他より秀でた知能を使って社会を構築することにより弱肉強食の世界を生き抜いてきました。
絶対に勝てないマンモスにも工夫をして勝ちました。
せっかく育てたお米を鼠に盗まれないように高床式倉庫や鼠返しを発明して、食料を守ってきました。
力が強い個体、足が速い個体、発明が得意な個体、面白い奴、まじめな奴、長い年月の中でいくつの個性が生まれたんでしょうね。

その一方、ズルをする個体も出て来ました。
足が速い個体に追いつけないがゆえに、次第にそもそも走り出すこともせず、あたかもチャレンジしたけどダメだったかのようにふるまう個体が。

ズルするのを許してしまうと、じゃあ俺もやらねーという個体が出て来ます。できるならやれよと思いますよね。ムカつくじゃないですか。殺人が罪じゃなかったら殺しちゃいますよね。そうやってみんなが殺し合っていったら、社会が崩壊します。というか、誰もいなくなってしまいます。
「転売ヤーマジうざい、いなくなってくれ」の「いなくなってくれ」を実行したら人がいなくなるんです。うざいですけどね。爆ぜてくれて結構ですけどね。うん。

生き物が生まれてくる理由は、平たく言うと子孫を反映させることだと思うので、社会がないと生きていけない人間は社会を維持するのに必死なわけです。だから「やってはいけないことリスト」ができてきたんでしょうね。
ズルするのはだめだよと言いながらも、社会はその個体のまだ見ぬ才能があるかもしれないと期待して守ってきた、その社会性の現在が法律であり、法律に守られた権利だと思います。

全然違う話なんですが、殺人犯だろうと何だろうとお医者さんってケガしてる人を助けるじゃないですか。それも見た目で判断できない定性的な背景は気にしない(してる暇がない)ってことなんじゃないですかね。

あ、すみません。戻りますね。

要するに何が言いたいのかというと、ズルするのはいけないんです。
男の人も、女の人も、LGBTの人も、鬱の人も、生活保護受給してる人も、年金受給してる人も、何でもいいんです。
ズルする人がいけない。それだけです。

ということで、「多様性」の陰に隠れてズルしてる人たち、マジで幼稚よね。って話でした。

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