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性格診断で「どちらでもない」を選びがちな人へ

ここ数年流行っている性格診断をやってみたことがある。

もともと診断テストが好きだったからワクワクしながら答えていった。

設問数の多さに少しテンションが下がったが、なんとか回答を終えることができた。

結果が出た。

特徴や向いていることなどが書いてあり読んでみると、おそらく無意識に自分をそれに当てはめている部分もあるので、「うわぁ…たしかに合ってる…わかるわかるぅ!」とウキウキしてしまった。

でも今考えると、本当にこの結果で合っているのか?と思う部分がある。

というのも、全ての設問において「いや、その時の状況によるだろ…」と思いながらとりあえず一回考えて、結果ほぼ「どちらでもない」を選択していたからだ。

例えば「人前で話すときに緊張する」という設問があったとして、5段階(当てはまる、やや当てはまる、どちらでもない、やや当てはまらない、当てはまらない)から1つ選べといわれて皆選べるものなのだろうか。

わたしは頭を物理的にぐるぐるさせながら考えて込んでしまった。

そりゃ初対面の人たちの前で自己紹介をしろと言われたら緊張するだろうけど、友だちの誕生日会で友だちの前でおめでとうスピーチをしろと言われたら、全く緊張しないどころか楽しそうに話している自分が想像できる。

だけどもしその友だちの中に気分屋の子がいたとしたら、その子の機嫌を損ねないような内容のスピーチをしようと思って緊張するに違いない。

最初に戻るが、初対面の人たちといっても年齢やどのような性格かによっても変わるし、自分1人で話すのか複数人で話すのかによっても変わるし、複数人で話すとしても自分のセリフが「皆さんこんにちは」しかないのか調べてきたことをリーダーとして話すのかなどによっていくらでも緊張度合いは変わってくる。

ましてや直前まで絶対に緊張しないと思っていたとしても、台本を家に忘れたり朝起きたら声がカスカスになっていたりしたら、相手にかかわらず不安で不安で仕方なくなるだろう。

つまり何を言いたかったんだっけ…

だから、こうも色々な状況が考えられて、しかも自分はそういった状況に左右されやすいタイプなのに、こんなざっくりとした質問をされても5段階で自分を表せるはずがないと思うのだ。

そんなに人間というものはハッキリしているのか。

というかここであまり悩まずにスパッと答えられる人は、性格診断をしなくても既に自分のことがある程度分かっているのでは、と思ってしまうところもある。

話がズレるけど、わたしには語彙力がないから言いたいことを上手く言葉に出来ないときがある。
だからこそ、何でもかんでも自分の感情や経験などを言葉にすべきではないと考える。

というのも、例えば自分の大切なひとが亡くなったことについて、今の自分が「あの時は悲しかった」と説明するのは違うと思うからだ。

これは正直極端だし、もっと語彙力があれば「悲しかった」の一言ではなく他の最適な言葉で表現できるかもしれない。

でも一度あの時の自分の感情を言葉にしてしまうと、「あぁ、自分は悲しかったんだ」と思い、他の感情をすべて忘れてしまうような気がする。

確かにその時「悲しい」と思ったかもしれないけれど、その「悲しい」という感情はどこからきているのか。それまでにその人とのポジティブな思い出があったからこそ「悲しい」と感じたかもしれないのに、そういった経緯を思い出すこともなく、ただ悲しみだけが残るのはとても大変なことをしている気がするのだ。

↑なので語彙力を磨くためにがんばっている…今の話は全てもっと自分に語彙力があれば解決することなのだ…


だから自分でも自分のことをよく分かっていないのに、0か100かで自分を評価したり、人生を漢字一文字で表したり、あのときの自分を「幼稚だった」と簡単に言葉にしたりすることは出来ないのだ。

なので性格診断で「どちらでもない」を選びがちなのは、散々悩んだ末の「わからない」なのだ。

「当てはまる」こともあるし「やや当てはまらない」こともあるからこそ、「どちらでもない」を選ぶのだ。

というわけで、これからもハッキリとせずどちらでもない人生をそれなりに楽しんでいこうと思う。


おわり


p.s.
「言いたいけどたぶん言わないほうが良い、でもやっぱり言いたい」と思ったとき。
そういう時はとりあえず我慢して言わない。
言ったあとほぼ毎回「やっぱり言わなきゃよかった」と後悔するからだ。

逆に「言いたくないけどたぶん言ったほうが良い、でもやっぱり言いたくない」と思ったとき。
そういう時はほぼ確で言ったほうが良い。
後で「やっぱり言うべきだった」と後悔したり、怒られたりする可能性があるのだ。



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