写真日記20230304
天然の良港なる、入江の奥詰まるところ、その形ひょうたんなる島のある。地元ではこれをひょうたん島といい、当漁港を象徴する。現在は埋め立てによって島の東側が陸続きとなって公園を形成している。島の2つの山上には小さいほうに大山祇神社が坐し、大きい方には鹿島神社が鎮座する。
埋め立て地に形成した公園を鹿島公園と称する。観光客向けの地場産品を販売する店舗もそばにあり、週末や連休にはそれなりに駐車場を埋める。
本日は午後から曇天、鈍い陽光というロケーション。やがて小粒の雨が降り出した。
最近愛用しているNikonのニコマートELは数日前にレフが架台から剥離し、修理の方法を検討中のところ。久しぶりにOLYMPUS OM-1を取り出してみる。この子はこの子で、20枚目くらいから巻き上げ不良を起こすようになっていたので今回再トライも兼ねてFUJIFILM FUJICOLOR 100を入れてみる。疑惑は巻き上げスプールのスリットにフイルムを差し込みすぎる癖があり、反対側から突き出したフイルムの先端が巻き上げを阻害しているのではないかということ。今回はそこそこの差し込みにとどめて蓋を閉めた。
このごろは絞りを開放に撮りたい気分が続いていて、また可能な限り接写したい。振り返られない植物たちに視線を送ってみると、そこにも確かな美しさを宿していた。カメラは持つ者に観察の機会を与えてくれる。時すでに16時をまわり、刻々とあたりは暗くなっていく。電池の入っていないOM-1はフルマニュアル。光学的感覚を身体に落とし込むように撮影する。日が山陰へと足を急がせて、シャッター速度もしだいに遅くなる。手ぶれの起きないギリギリを探す。ファインダーを覗いていると人体のふるえと呼吸による起伏が強く感じられる。軸足を決め、丹田を意識して上体を据える。ゆっくりと息を吸い込み、その上り詰めたところを狙い定めて、力をぬいて、慎重に、シャッターを切る。
私はたよりない三脚になる。そこには座禅に似た行があるように思う。
なりふり構わず、誰に奇人と見られてもよいと決め、濡れた草葉に膝をつき、右半身を横たえて被写体の印象をひきだす。
といって私は構図についてはうまくないのだが。
とはいえ、被写体が私にレリーズを押させたことに嘘はない。
わたしのもっているOM-1の50㎜レンズはそこそこカビがあり、おそらくそのために光源側に向けると光がぼやけるように思う。
このあたりから雨は降り出して、レンズを気遣いながらの撮影。上着にカメラを隠して木陰から木陰へと渡っていく。
樹木はふしぎと土から立ち上がったところで幹を分裂して腕をつくるものがある。ここに落葉や何やを蓄えることが彼らを生かしているのだろう。ときには絞め付けの木に着床されるけど。
カメラを持つようになって、雨が待ち遠しい。雨が降ると写真も潤む。夜雨のあとの朝など最高で、景色は色を濃くするし、遠景はくっきりとその輪郭を明かす。
しだいに雨は粒径を大きくして、撮影に差し支えるようになった。駐車場の車に避難して、わずかの雨止みを待ってみる。その途中で見た苔がきれいだったな、赤レンガと調和していて。フロントガラスに足される水滴を数えながら、兵士のように待機する。
明日の朝はどんな景色をしているかしら。
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