『ヨルシカ』 にコロサレル!
皆さまは“夜好性”と言う言葉をご存知でしょうか?
『YOASOBI』 『ずっと真夜中でいいのに。』 『ヨルシカ』
この今人気のある“夜”が名前につく3組のファンを総称して“夜好性”と言うらしい。
女性ボーカルとか、ボカロが根底にあったり、それぞれ面白いコンセプトがあったり共通点は確かに多いけど、音楽性は3組とも全然別物。
特にYOASOBIとヨルシカが作詞作曲&コンセプトを作っていくプロデューサーとボーカリストの2人編成なのに対して、ずとまよ(ずっと真夜中でいいのに。)はボーカルのACAねが作詞作曲も担当してコンセプト作りなども中心になっている模様。(ずとまよはユニットなのだが他のメンバーについての詳細がない。映像作家や編曲家がメンバーだと言われている。)
まー相変わらずマスコミは安直だなーとか思いながらも、私も好きなんです。
今回はその中でも特に好きなヨルシカについて書きたいと思います。
基本情報
コンポーザーの”n-buna”がボーカル”suis”を迎えて結成したバンド。
ーヨルシカ公式HPより抜粋
アルバム『盗作』についての散策と考察。
ヨルシカを語る上で欠かせないのが2020年に出たアルバム『盗作』。
ヨルシカの作品は常に確固たるコンセプトを下敷きにして作られてきた。
1stフルアルバム『だから僕は音楽を辞めた』では「音楽を辞めようとする青年・エイミーが少女・エルマに手紙を送る中で、何者かになりたいが何者にもなれない自分との葛藤」を、
2ndフルアルバム『エルマ』は前作と地続きの世界観で「旅立った青年・エイミーを少女・エルマが探し求める中で、彼を失った喪失感と何者かになりたかったけどなれなかったエイミーのありのままを受け止めようとする肯定感」をそれぞれ描いていた。
そして3rdフルアルバム『盗作』へと繋がっていくのだが、今作はそのタイトルが示すとおり“オリジナリティ”と“アイデンティティ”がテーマとなっている。
エイミーが求めた「特別な存在でありたい」「何者かになりたい」「唯一無二でありたい」という誰もが思い描く理想の自分。
それは創作者にとっては絶対的な指標とさえ言える。
しかしこのアルバムの主人公は自ら「俺は、音を盗む泥棒である」と告白する。
そしてヨルシカのコンポーザー(作成者・構成者の意味。ヨルシカの作詞/作曲/編曲を担当)n-bunaは実際に「このアルバムはベートーヴェンやグリーグの曲や川端康成や尾崎放哉の言葉から盗作している」と公言している。
ここでアルバム『盗作』の全曲(インスト除く)の好きな歌詞を一部だけですが一気に散策したいと思います。
『昼鳶』
つまらないものだけが見たいのさ
君の全部が僕は欲しい
ただ何もないから僕は欲しい
この渇きを言い訳にさぁ
『春ひさぎ』
陽炎や 今日などいつか忘れてしまうのでしょう?苦しいの
左様な躊躇いの一つが愛なら知らない方が増し
詮の無いことだって聞かせてもっと
『爆弾魔』
今日も出来ませんでした 今日もやれませんでした
青春の全部を爆破したい 君のことを歌にしたい
『レプリカント』
僕は映画をずっと観ている
つまらないほどに薄い映画
席を立ってからやっと気づく
これは僕の描いたドラマだ
『花人局』
昨日の夜のことも本当は少し覚えているんだ
貴方の居ない暮らし それが続くことも
今でもこの頭一つで考えているばかり
花一つ持たせて消えた貴方のこと
『盗作』
「音楽の切っ掛けが何なのか、今じゃもう忘れちまったが欲じゃないことは覚えてる。
何か綺麗なものだったな。
化けの皮なんていつか剥がれる。
見向きもされない夜が来る。
その時に見られる景色が心底楽しみで。
そうだ。
何一つもなくなって、地位も愛も全部なくなって。
何もかも失った後に見える夜は本当に綺麗だろうから、本当に、本当に綺麗だろうから、
僕は盗んだ」
『思想犯』
他人に優しいあんたにこの孤独がわかるものか
死にたくないが生きられない、だから詩を書いている
罵倒も失望も嫌悪も僕への興味だと思うから
他人を傷付ける詩を書いてる
こんな中身のない詩を書いてる
『逃亡』
誰一人人の居ない街を探すんだ
ねぇ こんな生活はごめんだ
『夜行』
ねぇ、いつか大人になったら、僕らどう成るんだろうね
何かしたいことはあるのかい。僕はそれが見たいかな
君は忘れてしまうだろうけど思い出だけが本当なんだ
そっか、道の先なら着いて行くよ
『花に亡霊』
もう忘れてしまったかな 世の中の全部嘘だらけ
本当の価値を二人で探しに行こうと笑ったこと
『盗作』というアルバムが全編を通して紡いでいく物語は、
“全く新しいものなどもうこの世界には無い”
“我々は誰もが偽物である”
と私たちが見たくないものを目前に突きつけてくる。
ヨルシカの曲はいつだって排他的で超自然的で、そこに絶対的に存在している。
しかし最後の曲『花に亡霊』の中にこんな言葉がある。
「形に残るものが全てじゃないように
心に響くものが全てじゃないから」
新しいものが作れなくても、何者にもなれなくても、偽物でも、それでも私たちは生きていかなければならない。
時には投げ出したく、時には叫び出したくなる事があるかもしれない。
それでもこのアルバムは最後に「それでいいんだよ。大丈夫だよ。」と私たちを優しく肯定してくれている。
超自然的で他を寄せ付けないはずのヨルシカの曲が、いつの間にかそこに居て当然であるかのように自然とあなたの隣に寄り添っている。
だから私たちはいつだってヨルシカの音楽を聴くのである。
パンチライン of ヨルシカ。
アルバム『盗作』以外にも素晴らしい歌詞の世界が広がっているので少し紹介します。
MVが公式公開されているものはリンク貼るのでご一緒にどうぞ。
いろいろ物語が繋がっていたり、細部まで美しいまでにこだわりが感じられます。
「あぁ、いつか人生最後の日に、君がいないことを
もっと、もっと、もっと
もっと、ちゃんと言って」
ー『言って。』より
「だからさ、だからさ
君もさ、もういいんだよ」
ー『雲と幽霊』より
「僕だって信念があった
今じゃ塵みたいな想いだ
何度でも君を書いた
売れることこそがどうでもよかったんだ
本当だ 本当なんだ 昔はそうだった
だから僕は音楽を辞めた」
ー『だから僕は音楽を辞めた』より
「愛を歌えば言葉足らず
踏む韻さえ億劫
花開いた今を言葉如きが語れるものか」
ー『春泥棒』より
「また一つ夏が終わって、花一つを胸に抱いて、
流る目蓋の裏で
君が褪せないようにこの詩を
どうか、どうか君が溢れないように」
ー『雨とカプチーノ』より
「人生なんて余るほどないし
友達なんかはいりません
最低限の荷物を固めて
あなたに会いに行こうと思いました」
ー『負け犬にアンコールはいらない』より
結びとして。
ヨルシカは、suisのどんどん移り変わっていくボーカルの音色やn-bunaの作る音の構成力など音に関するアプローチ、季節や時間に関する観念的なアプローチ、ストリーミングとCDの対比などプロモーションに関するアプローチetcまだまだ魅力がたくさんあるのですが、長くなってしまうので今回はここらへんで終わりにします。
機会があればまた今度。
そして本日6/7より新曲『又三郎』が各ストリーミングサービスで聴けるようになりました。タイトルの通り宮沢賢治の世界観。
これまた素晴らしい曲なのでぜひ聴いてみてください。
音楽にコロサレル!
ニシダ
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