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嫌われるとか、好かれるとか②

一度も会ったことがないテレビのタレントやアイドル、アニメのキャラクターに対して恋をするのも「片思い」である。

それは、自分の心の中の「理想」を、彼らに投影して、それに恋をしている状態。

生身の他者と共同で生み出したものを抱えるという作業ではない。

二者間の関係の作り方とは異なる、言わば自分一人でコミュニケーションが成立している状態であるため、これも純粋な「片思い」と言える。


会えるアイドルを考案した秋元康。

彼は、ファン層を根本的に変えた。

これまでの「アイドル」は、上で挙げたような、自分の心の中の「理想」を、彼らに投影して、それに恋をしている状態に持っていけるファン、つまり、自分一人でコミュニケーションを成立させられるファンを対象としてきた。

したがって、「理想」を投影しやすいような「アイドル」が人気を博してきたのである。

これは、「片思い」を軸とするセールスである。


しかし、秋元康は、「アイドル」と実際にコミュニケーションが取れるシステムを作った。

これにより、大きな転換が起こった。

アイドル業界に「両思い」を持ち込んだのである。


実際に会って、話して恋をする。

握手会に行って、肌を触れ合わせて、自分だけに向けられた声を聞いて、恋をする。

これは「片思い」のシステムではなく、「両思い」のシステムである。

リアルな人間関係の中で、人が人に好意を抱くのと同じ構造である。

したがって、多くのファンとの間に「両思い」を量産できるアイドルが人気を博すことになる。

もちろん、「アイドル」たちはテレビに出て歌ったり踊ったりするわけなので、これまでの「片思い」的なセールスも同時進行していくのだけれど、これまでになかった「両思い」の構造を取り入れたのは革命だった。


「片思い」のセールスは、自分一人でコミュニケーションを成立させられるファンを対象としていると述べたが、自分一人でコミュニケーションを成立させるというのは、誰にでもできることではない。

一方、「両思い」のシステムは、ほとんどの人が持つ、人間関係構築の基盤となる構造であるため、誰もがアイドルファンの候補になり得るのである。



「両思い」と「片思い」では、構造が異なる。

それは、「両思い」の軸で戦うのが得意な人間と、「片思い」の軸で戦うのが得意な人間は異なるということである。

昔のアイドルであれば、「片思い」の軸で戦うのが得意な人間が重宝されたかもしれない。

けれど、現実社会で「片思い」を量産すると困ったことになる。

自分は好意を抱いていないのに、「片思い」をされることが多くなると、場合によってはストーカーを生み出しだり、望まないトラブルに巻き込まれたりもする。

したがって、現実社会においては、「両思い」の軸で戦うのが得意な人間、つまり「両思い」を量産できる人間が重宝されるということである。

それでは、「両思い」を量産できる人間とはどのような人間だろう。

次回に続く

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