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子どもの表現を受け取る

子どもとのセラピーにおいては、

子どもが何らかの作品を作ることは多い。

絵を描くこともあれば、

文章を書くこともある。

粘土で何か作ることもあれば、

箱庭作品を作ることもある。

子どもたちは、

言葉で自分の思いを表現することに長けていないから、

言葉以外の方法でさまざまなメッセージを発する。


カウンセラーは、

そんな子どもたちのメッセージを、

どうにかこうにか受け取ろうとする。


その受け取り方の話。


私たちはどうしても、

子どもたちの表現に、解釈を与えたくなる。


たとえば、

虐待を受けている子どもが、

ミニチュア玩具を使って、

肉食恐竜が草食恐竜を食べる場面を展開させていたとする。


そうすると、私たちはすぐに、

「これは、自分が親にやられている場面を再現しているのだ」と、

そのように早合点してわかった気になる。


あるいは、

不登校の子が、

黒いクレヨンだけを使って絵を描いていると、

この子の心には黒い部分があるのだと、

そんな風に決めつけてしまうことがある。


確かに、そういう面もあるのかもしれない。

そういう面が表されているところもあるのかもしれない。

けれど、きっと、子どもたちが表したいのはそれだけではない。

子どもたちのメッセージは多義的である。

子どもたちのメッセージの意味を、

大人がわかった気になって

一つに固定してしまうことは、

子どもたちとのコミュニケーションを狭めてしまうことになる。


子どもたちはいろんな可能性に開かれている。

子どもたちにとって「良いこと」は、

子どもたち自身がが進みたい方向に進んでいくことである。


大人が、子どもたちとのコミュニケーションを狭めてしまっていると、

子どもたちのメッセージをキャッチし損ね、

子どもたちの可能性を狭めることになる。


子どもたち自身が進みたい方向に進んでいくために、

子どもたちのメッセージを、

こちらが勝手に決めつけて限定することなく、

いろんな可能性に開かれたまま、

そのままキャッチできるように。


そんなスタンスでいられるように、

これからも柔軟に在りたい。


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