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何が起きるかわからないことにワクワクする。

前提を根本から覆すような問いが生まれたときにワクワクする。

自分の理解の範疇を超えるものが目の前に現れたときにワクワクする。

それらは「安心」とか「安全」という概念とは少し離れたところにあるかもしれない。

「安心」とか、「安全」とか、「安定」に、ワクワクすることはない。

よくわからない場所に行くこと、未開の地に行くこと、そこにワクワクがある。

それは、「安心」というよりも「不安」に近いものなのかもしれない。

「冒険」に近いのは、「安心」ではなく「不安」である。

でも、私たちは「冒険」を求める。

「安心」ばかりではいられない。

危険を冒して、死と隣り合わせの山登りに行くなんて、動物のあり方としてよくわからない。

なぜ人間は、「安心」を手放して、「冒険」をするのだろう。

ロジャーズは、人間は環境さえ整えば、自己実現に向かっていく動物だと言った。

自己実現の欲求はきっと、人間にとって、「安全」を手放してでも追い求める価値を持つことなんだろうと思う。

自分の自己実現が、山に登ることにあるという登山家にとっては、「なぜ危険を冒してまで山を登るのですか?」と聞かれたとき、「そこに山があるから」としか答えようがないのだと思う。

カウンセリングの目的は、「安全な場で、安心を感じてもらう」だけではない。

自分という存在に迫るためには、「安全」ばかりではいられない。

これまでの自分の、自分に対する認識を否定して、新たに自分自身を探っていくという、未知の世界への挑戦がある。

それは、「不安」を伴う行為であり、ある意味「冒険」である。

ただ、多くの人は、帰る「安心」の場が保障されていない状況で、「冒険」に出発することはできない。

「不安」を伴う「冒険」を行うためには、帰る「安心」の場が保障されている必要があるのだ。

私が接する子どもたちの中には、帰る「安心」の場を持たず、ただ自暴自棄になって、危険な行為に没頭している子どもがいる。

それは、一見、危険を伴う「冒険」と同じように見える。

「不安」があるということも共通しているかもしれない。

けれど、帰る「安心」の場を持っているか否かで、その行為の意味合いは全く異なる。

自暴自棄になって危険な行為に没頭するという行動は、自己実現の「冒険」とは正反対にある行為である。

私たちがカウンセリングで行うのは、自暴自棄になって危険な行為に没頭する子どもたちに、帰る「安心」の場を提供し、そして自己実現に向かう環境を整えることである。

「不安(「安心」の感覚なし:自暴自棄)」→「安心の感覚の獲得」→「不安(「安心」の感覚あり:冒険)」というプロセスを踏んでいけるよう、子どもたちを支えていくことである。

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