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嫌われるとか、好かれるとか④

急遽始まった、いつまで続くか、どこに着地するのかわからないシリーズ。

今日は4回目。

前回までの記事は以下から。


健全な両思い〜ファンタジーとリアル〜

これまで、「依存」の割合が大きい、病的な両思いについて述べてきた。

では、「依存」の度合いが少ない、健全な両思いとはどのようなものであろうか。


健全な両思いとは、「依存」の程度が強すぎないもの、あるいは「依存」をコントロールできる状態にあるものである。

もう少し説明を加えるなら、双方が精神的に自立しており、もし「依存」に入り込んだとしても、また容易に現実に戻って来ることができる、そのような「両思い」である。


私たちは、誰しも、ファンタジーと現実を行き来しながら生きている。

ファンタジーは、人生を豊かにするために必要なもので、私たちはファンタジーの中で自分を解放させたり、他者に依存したりしながら、生きている心地を得る。

恋愛や、「両思い」は、ファンタジーの側面が色濃い。

ファンタジーである「両思い」が、現実を侵食し始め、現実に支障をきたすようであれば、それは健全な「両思い」とは言い難い。

現実で自立した個人が、それはファンタジーであるという了解のもとに、現実に支障をきたさない範囲でお互いに思う、それが健全な「両思い」である。


「両思い」とは果たしてなんなのか

「両思い」について説明してきた。

病的なものであれ、健全なものであれ、それは「両思い」である訳なので、どちらも双方に思い合っている状態である。

片方から見ればそれは、「自分が好きな人に好かれている」という状態である。


冒頭に、本質的には「片思い」というものはない、と述べた。

自分が誰かに好意を抱いているとき、その誰かもきっと自分に好意を抱いている。

逆に自分が誰かを嫌っているとき、その誰かもきっと自分を嫌っている。

共鳴するというのはそういうことである、と。


「両思い」を作り出せる人。

それは、程度の量はあれ、世界に対して好意を抱いている人である。

「人に好かれる人」というのは、「世界に好かれる人」であり、それは「世界が好きな人」なのである。

つまり、世界と「両思い」の人なのである。


では、どのような人が世界と「両思い」になれるのか。

そこには愛着という問題が関わってくる。


次回へ続く。

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