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母の衝撃的な発言

私はもう大学生だが、中学生の時に聞いた今でも忘れられない母の衝撃的な発言がある。当時、思春期真っ只中の私にとってそれはあまりにも驚きで、色々な事を考えさせられるものだった。

私は中学生の頃、野球のクラブチームに所属していた。練習は土日と平日に週2日ほどで、ほとんど毎回母か父に送迎をしてもらっていた。特に平日はナイター練習なので夜9時に練習が終わり、その時間に迎えに来てもらい家に着くのは10時前になることが多かった。

当時、私は時間にルーズで送迎をしてもらっているのにもかかわらず、母と約束していた出発の時間に度々遅れていた。そして、道が混む時間帯というのもあり、運転する母を焦らせてしまっていた。

そして、例のごとく準備を怠りギリギリの時間で出発したある日のことである。その日は特に道が混んでいて、母と私もチームの集合時間に遅刻しそうで焦っており、母は怠惰な私に苛立つと同時に渋滞に腹を立てていた。その時、半ば強引に私たちの車の前に車線変更してきた車がいた。流石に前の車も申し訳なく思ったのか、ハザードを点滅させた。これはサンキューハザードと呼ばれるもので、この場合は「譲ってくれて、ありがとう」という意味が込められていると思う。私はまぁ、道も混んでいるししょうがないかなと思った。しかし、それを見た母はそんな穏やかな状態ではなく、予想もしない一言を発した。

「誰がありがとうじゃ、ボケェ!」

それを言っている母は泣く子も黙るような鬼の形相だった。当時の私にとって一瞬誰にどういう意味で発しているのか分からなかった。

もちろん、割り込んできた車が危なかったのは分かる。けれど、一応ありがとうと意思表示をしているのに、それに対してボケェと暴言を放った。思春期の僕にはあまりにも刺激が強すぎた。

私はありがとうと言ってもなんともならない状況があるのだと思った。人はイライラしていると魔法の言葉であるありがとうでさえも心に響かず、逆に怒りにという火に注ぐ油のようなものになってしまうのだと学んだ。また、この母が苛立っている状況は元々は自分が作り出している事に気づき、自分の行動を改める良いきっかけにもなった。両親がどれだけ自分に尽力しているかという事も考えるようになった。ただ、当時はまだ純粋だった私にありがとうにボケェと返す発想は無かった。母の恐ろしさを知り、自分の犯している罪の大きさを知った今でも忘れられない経験だ。

追記:上の写真は以前兄が作った驚くほど焦げたハンバーグです。


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