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歴史は人の営みの積み重ね。

歴史好きの高坂Θです。
日本史では橋本治さんの歴史論述、中国史では宮城谷昌光さんの
小説が私個人の思考パターン的にベストフィット。
多大に影響を受けて、歴史を題材に自分が思うところを
noteに記していこうと思い立ちました。
まずは、小説のプロットみたいなものを。

合理性なき予言。

時は西暦で671年、年末の頃。当時の近江京で病床に在る、
天智天皇。その夢枕に立った胡散臭い占い師が語る予言。
「百年の後には、そなたの孫によって、そなたが皇統の祖であると
 確立されるだろう」なんて話を聞かされたら、どう思うのか。

将来を多大に危ぶんでいたであろう天智天皇としては
喜ばしくもあるだろうが、百年と遠い上に区切りの良過ぎる話に、
納得しかねて問いかける。「我が子のうち、誰の子がそれをする?」と。
占い師は答える。「志貴の子だ」と。更に信じ難い答えだった。

志貴皇子は671年時点は数え齢で10歳か11歳(推定)。
母方は越前辺りの地方豪族で、王朝や皇統といった事に関与できるような
地盤も勢力も持ち合わせていない。しかも百年後に孫、であると言う。
志貴皇子があと40年、50歳までも生きてその頃に息子を得て、
その息子が60歳になる頃にようやく百年に届く。

当時の日本人の平均寿命は30歳ほど。水時計を導入した故事からも、
天智天皇にこれくらいの計算は簡単であったろう。
甚だしく信憑性に欠ける事を叱り付けよう、とした所で目が覚めた。

こんな夢を見たと、当の志貴皇子に訓話を遺したのであった・・・

昼行燈に徹して百年。

といった創作文はともかく、ほどなくして天智天皇は崩御する。
享年は46歳と伝えられているが、13を足した方が正しいのではとの
説が昔から提示されており、個人的にはそれに賛成。

明けて672年の6月に起きるのが壬申の乱。
11歳か12歳の志貴皇子はおそらく近江京に居ただけで、
乱の方はあっさりと大海人皇子:天武天皇側の勝利に終わる。
天武天皇は大友皇子(弘文天皇)に与した重臣を何人か処罰しただけで、
都を飛鳥の地に戻し、新体制をスタートさせる。
天智天皇の皇子・皇女たちも全て抱え込んだ上で。

同年輩の天武天皇の皇子・皇女たちとの交流は今までと変わらず、
机を並べて学ぶ日々・・・なんてのは小説や漫画で多く描写されている。
里中満智子さんの「天上の虹」とか。

天武天皇の後は持統天皇、その後も時代と体制の移り変わる中で
志貴皇子は昼行燈的な人生に徹したように見える。
酒好き・女好き・遊び好き、政権サイドから危険視されない為の
韜晦の術でもあったろう。亡くなるのは716年、
天智天皇の崩御から45年を経ての事。推定での享年は56歳。
子供の多い人であり、709年であるから晩年と言っていい頃、
6番目の男子として生まれたのが白壁王。

白壁王もまた昼行燈生活を送り、天平年間から相次ぐ政争を潜り抜け、
称徳天皇の後継に押し立てられて即位するのは770年。
冒頭の予言から数えてちょうど百年目。
光仁天皇、当年で62歳の時であった。後を継ぐのが長男の桓武天皇。

現代まで繋がる、天皇家の祖となるのである。

小説として題名を付けるなら「百年の雌伏」とでもなりますか。このような事を書いていこうと思っています。

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