繊細で傲慢な私の心地よい考え方
私は好き嫌いや得意不得意がとてもハッキリしている個性と五感や人の言動に敏感で、気を必要以上に使ってしまう性格なので自分を表す言葉として「傲慢で繊細」と表現します。
小さい頃からなので、人より沢山わがままを言ったと思うし人より沢山我慢した事もありました。
それは、私の中では当たり前の事。小さい頃は皆んなも同じ気持ちだと思っていたり、時に自分だけが「できない・苦手」と感じる差に戸惑う事もありました。
不登校になり、抜毛症になり、鬱病にも摂食障害にもなってようやく自分らしさを語れるようになった今思う「私の心地いい考え方」をこのnoteに書こうと思います。
このようなお悩みや質問を多く頂きます。私から答えられるのは、あくまでも私の心地の良い考え方なので答えは皆さんの中にあると、アバウトな答え方になってしまいます。
なので、具体的に「心地よい自分らしさ」について何とか言語化してみようと思った次第です。
1.完璧主義を辞める
私は、摂食障害になるまで自分はどちらかと言うと「怠惰」な人間で「サボりがち、途中放棄しがち」と自己評価していた節があります。
摂食障害の回復期で、私は「極端にも完璧主義」だった事に気が付きます。痩せる!と決めたら、とことん痩せに走ってしまった理由もこういった考え方によってダイエットから摂食障害に変わってしまった理由だと思います。
できない自分にとても罪悪感を感じていました。だからと言ってずっと気にしている訳ではありませんが、次に何か新しい事を始める時の「自分の自信」つまり「成功体験」が少ないから不安を覚えることはよくありました。
「またできないんじゃないか?」「やっても長く続かないんじゃないか?」「どうせできないから、やらない」
やってもいないことに対しても、億劫になっていたり。やってみたら、とことんやり詰めてしまうから夢中になってしまい大切な事も見えなくなってしまう。これは、良くも悪くも自分を信じてあげられていない証拠でした。
自分を過信し過ぎる事も、自分を疑い過ぎる事も極端なのが良くないのであって、何事もバランス良くが丁度いいのです。
できた、できなかった。やった、やらなかった。結論だけを見て判断するのではなく「過程」に意味があると考えます。
やってみただけ、凄い。1日の中で決めた事ができなかったとしても、悔やむ事や罪悪感より「明日やってみればいいじゃん」と考える方にパワーを使う方が心地良いのです。
1日単位で自分の目標を立てるのをやめました。私には合っていない事に気が付きました。長い目で見て考える。
目標を立て結果を急がせるような、スパンを短く区切る癖があると気付いてからは、とにかくスローペースに取り組めるように考えています。結果を急ぐより、過程を噛み締められるように、自分の性格や個性に合った目標の立て方をするのも大切だと思いました。
これもまた、練習で得た気付きであり習慣です。前の私ならこう考えていたはずです、「完璧主義を明日から辞める!」
これこそ - ̗̀ 完璧主義 ̖́- ですね。そうじゃなくってゆっくり自分が取り組めるところから、見直してみる。まず、自分はどんな考え方をしているかな?って書き出してみるところから始めました。
2.数字に囚われない
価値でいうお金、時間。試験の結果、成績。評価として順位。カロリーや体重、BMIなど。いいね、などのSNSでの数字etc
何事にも数字は着いて回ります。数字には何か安心感があって絶対感のあるパワーがあるように思いますが、皆さんは数字に対してどう思いますか?
例えば、ダイヤモンドに1億円というお金の価値が付いています。「1億円もするものだから、要らないor欲しい」という人がいたり、「そもそも石に1億円?」と思う人もいる訳です。つまりは、目的やニーズや好き嫌いによって「物の価値」が変わるので、皆んなにとって1億円分の価値があるか?は変わるという事。
お金や時間も、人によって価値も違います。試験の結果として点数が高くても低くても、それをどう活かすか?は人によって異なります。順位も、カロリーなどの容姿の指数も、全て数字に価値があるのではなく、自分にとって必要か?価値があるか?だと考えます。
自分の直感や心で感じたパワーを受け入れるのに、不安を感じるのはどこか「間違っている気がする」という疑いだったり数字は可視化できて分かりやすいものなので「安心感」を得られたり「皆んなと同じor違う」が、自分の中で納得しやすい理由にもなりますよね。
これも、私がどこかで自分に対する不安感から数字に執着してしまった原因であったので、心地良く過ごす為に自分の直感を信じる練習をしました。
具体的には、他人の価値をお金や容姿で判断しない自分の想いを自分に向ける事です。大切な人がお金を無くしても体重が減っても増えても、大切な人=大切な人 変わらないと、他人には想えるのだから、それを自分にも当てはめる考え方です。
どこか心の中で「自分なんか〜」と呟いてしまったのなら大切な人を思い浮かべたり、そんな意識の積み重ねでした。
3.他人と比較しない
数字の話にも似ていますが、どこを切り取ったって違う人間同士ですから「違って、差があって当たり前」な世界ですよね。
自分or他人の世界でもあるから、自分を知るのにも自分を鼓舞させるのにも、良い意味でも悪い意味でも比較というのは何に置いても、簡単な方法だと思います。
それを知っているからこそ、自信を奪われそうな脆い心の部分を他人と比較しない意識を持つのです。
比較して自分が良い方向に向く事なら、それは仕方のない事だと思うので比較を否定はしません。
悪い方向に向かう、自分が不安な事や自分の判断に自信が持てない時こそ他人に委ねてしまいそうになりますが「グッと堪える」一旦、チャレンジだと思って自分の気持ちにBET(賭る)してみるんです。
露骨に自分を傷つける必要はないんだから、比較して無駄な事はさっさと距離を置く事で心地よさに繋がった気がします。
余計に不安になって悩んでしまうとしても、その考える時間が「過程」となって、1.完璧主義を辞める にも繋がるように自分の出した結果ではなく、考えた時間が自分の正解に導いてくれるような気がします。悩んだ分だけ、失敗した分だけ成長するとはこういう事なのかな?って思います。
何かをやる前から自分はこうだろうと仮定して、また他人の正解を参考にしてしまうと、自分の決めた判断に自信を持つ事はもっと難しくなってしまう。
一度、失敗してもそれも良しとして自分で探ってみる事も自分の心地よさにつながると思います。
4.最後に
ザックリと、こんな感じです。完璧主義ではなくなったからこそ思う事なのかもしれませんが「幸せや良い日が続く事もない」という、一見ネガティブな発言も実はポジティブで、こうやって人生を、時に良く時に悪くもあるものと捉えているのでBADな時もあります。
心地良く生きると言っているけれど、心地悪い日だって全然あります。それも受け入れる事ができたから、総じて心地よいと表現している訳です。
気持ちの言語化は、とても難しい。でも、何となく気持ちを汲み取ってもらえたら嬉しいです。
考え方の選択肢の一つとなれば、と思います。
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