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けなげさ

 去年の夏、Seoulの聖水という街に娘と行った。どんな店や場所に行くかは娘に任せた。わかってはいたが、彼女が選ぶのは、それが日本でも外国でもなぜか街の中心地から離れている。

 ギンギンの真夏の陽射しと湿度にやられ、へトヘトな私をかわいそうに思ったのか、ニコニコしながら「自転車借りようか」と彼女は言った。


 だいじょうぶ?と聞くように時々私を振り返ってほほえみ、彼女は自転車でスイスイ走る。聖水も三軒茶屋もまるで、同じみたい。気をつけて〜、転ばないようにね〜、と息絶え絶えながらにも私から声をかけたいのだが、気をつけないとあかんのは私の方だった!自転車漕ぎまでヘタになってしまった。なさけない。ふぅ。

 さて、彼女が選んだ雑貨屋についに到着。向かいにはカトリック教会。聖水の地元の人々が暮らす通りに、借りた自転車を停めて中に入る。小さな小さな可愛い雑貨屋さん。まあ、いうなれば特になんちゅーこともない雑貨なんだけどわりとお高めだった。でもそぼくで優しい店員さんがいて、全て大事にセレクトしていて、だからこそ、何を買うか悩みに悩むようなそんな店で、だから娘はぜったい何か買えるものを探し出すだろうなと思いながら、できたら私も何か買わねば!と必死で小さな店内をぐるぐる。

 けっきょく彼女が買ったのはお香。店員さんとニコニコ小さな声でやり取りしながらお金を払っている後ろ姿が、限られた小遣いでスイマーの小物を選んでいた幼い彼女と重なる。店の大きな窓からミントグリーンのカトリック教会を眺めた。イスラム寺院みたいだと思った。

 みんなオトナになった。もうすっかり大人。そうオトナさ。でも、どんなにクールぶっても、どんなに強がってみたり、賢いことばで話しても、残念ながらけなげさや儚さや不器用さって隠せない。こぼれてくる、おかしいくらいに。
 
 生きていくって時にたいへんだな。もちろんそれは仕方ないし、それになんとかなっていくし、大丈夫なんだけど、だけどね。なんかね、けなげな人や、不器用な人も、あったかく生きていける世界ができたらいいね。そんな世界になっていくといいね。