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Tokyo, Quantico in Virginia

 暗闇を滑走していたアムトラックが、大きな軋み音を立ててどこかの駅に停車した。うとうとしていた私の視界に突然ほのかな灯に照らされた通りが出現し、薄闇の中に確かに、TOKYOという看板が見えた。TOKYO?  アムトラックの停車駅とは到底信じられぬ田舎町のダウンタウン。突然、不思議な郷愁が胸に押し寄せ、私は数分のうちに発車しそうな列車の気配にうろたえながら、なんとかこの景色を残しておかねばとシャッターを二回切った。あっけなく列車はその田舎町の駅を後にし、私はたった今自分の人生に起きた邂逅に当惑しながら、再び夜の闇の中に吸い込まれていった。 TOKYO。あの町に日本人がいる。あの明かりの消えた店は日本食レストランに違いない。いったいその人はいつ、どんな理由でこのヴァージニア州の田舎町に流れ着き、そして住み着いたのだろうか? 日本からこんなにも遠い遥かなる土地に? 

 そのとき私は、ヴァージニア州のリッチモンドからアムトラックに乗ってワシントンD.C.に行く途中だった。それは2017年の9月のことで、アムトラックに乗るという計画は全くなかったのに、ことの成りゆきにまかせるしかなかった。歴史深いリッチモンドから列車に乗り、あの小さな駅を通り過ぎたのは午後8時くらいか?確かワシントンD.C.に到着したのが午後10時を回っていたから、そのくらいの時刻だろう。しかし、なぜ午後8時にTOKYOはもう閉店していたのだろうか?あの日が特別に早じまいだったのか。それともあれは休店の日だったのか。地の果てにたった一人で生きている日本人の輪郭がぼんやりと浮かび、そして、消えた。

 日本に帰ってきても、あの名も知らぬアムトラックの停車駅のTOKYOを忘れることはできなかった。やがて、日々の忙しさのなかでTOKYOは霞んでいき、一年が過ぎ、二年が過ぎた。それでもたまに、ふとアメリカを想う時、TOKYOは、説明しようがない郷愁をもって私の中に何度もよみがえった。

 今夜のことだ。二人きりの静かな夕食を済ませた後、ソファで身体を伸ばして眠ってしまった夫の寝息を聞きながら、「TOKYOがどこにあるのか探すことはできないのだろうか?」という想いが不意に湧き上がった。Amtrack, Richmond to WashingtonD.C.と検索をかけると、不鮮明な地図やらなんやら何十もの無用な情報の後に、RichmondからWashingtonD.C.までのアムトラックの停車駅全てが記された記事が見つかった。ドキドキしながら、全ての駅名の中から勘が働く順に、TOKYO in FREDERICKSBURG、 TOKYO in ALEXANDRIA、TOKYO in ・・と検索していくと、なんと、あった。

 TOKYO in QUANTICOまで来たとき、あの幻の看板を掲げた小さな日本食レストランの画像が現れ、心臓が一瞬止まった。TOKYOと書いてある。それもあの特徴のある、私の脳裏にしっかりと焼き付いたあのロゴで。地図を調べると目の前がアムトラックの駅だ。間違いはない。あの夜から五年の月日が経っていた。が、しかし、コロナを経て今もTOKYOは存在しているのだろうか?お店の案内のような記事が見つかった。そこに2022年5月の店主の投稿があった。ある。存在している。今もTOKYOはあそこにある。人生という川で、あんなに遠くまで漂流した日本人が、あそこに今日も生きている。私はあの町に、いつか必ず行かねばならないと思った。

 しかし、私は行くだろうか。行けるだろうか。絶え間なき、速い流れに両足はつかっている。