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「世界の夜は僕のもの」の僕になりたいアラサー拗らせボーイ

この世に生を受けたのはバブル期だった。でも物心ついた頃にはバブルは崩壊していたし、多感な時期を過ごしたのは2000年代。だから90年代のカルチャーをリアタイで体験していた感覚はあまりない。せいぜい流行っていたものを見聞きしていたくらいだ。

なので渋谷系しかり、魚喃キリコや岡崎京子とかに出会ったのは「中途半端にサブカル拗らせた無駄なこだわり強めなめんどくさいボーイ」(なんだそれは)になった大学の頃。おそらくその頃から90年代に対する憧れを抱いていた。

そう、自分は90年代に若者でいたかったのだ。当時は小学生だったので若者と言えば若者だが、ここで言う若者は20代前半くらいである。

「世界の夜は僕のもの」を知ったのはTwitterだったと思う。なんとなく頭に残っていたから、本屋で目にしたとき気づいたら購入していた。いや、気づいたらは嘘だけど。

このマンガで描かれる90年代を生きる主人公たちはとても愛おしかった。サブカル拗らせていた(今も拗らせてるけど)自分の20代を肯定してくれたような気持ちにもなったし、やっぱりどうしたって大人になれない自分には色々と刺さって人生をやり直したくなるくらいな気持ちも湧いてきた。

時代は繰り返すといった言葉をちょくちょく耳にするし、今の流行りは90年代リバイバルな感じもしていた。だけど、そうではないのかもしれない。価値観もカルチャーも過去があってからこその今で、同じようなものが流行ったとしてもそれは現代的なものとして変化はしているんだと当たり前なことに気づいたような。

作品の中で音楽好きなキャラが「サンプリング」の元ネタを探すのにハマっている描写がある。その話の終わりにコラムもあって当時のサンプリングに対する捉え方も綴られているのだけど、それはすべてのことに通じる話な気がしていた。ファッションも漫画も映画も、あらゆることに関してインプットとアウトプットを繰り返すのは今に始まったことではないし、優れた何かがあるから新しいモノが生まれるわけで。パクリだなんだという考え方は人生の楽しみを狭める捉え方なのかもしれないなと。もちろん普通に盗作は許されんけど。

90年代のお笑い第3世代到来の話とかも、第7世代が台頭している現代に重なる部分はあるけれど、それが「時代は繰り返す論」に当てはまることではなくて、あくまでカテゴライズして名前をつけて簡略化したい一定層に向けたわかりやすい論法なのかもしれない。知らんけど。

今、90年代とはまた違う形で生きづらさを覚えている自分は、この作品に救われる部分があって、それはこの頃の若者も同じ悩みを抱えていたということだった。作中のお笑い好きな少年も、音楽好きな青年も、漫画家の女の子も、それぞれが抱える悩みに共感できたし、みんなこの作品が描いたラスト以降の人生が明るいものであればいいなと思った。

しかし、悲しいことに自分はもう若者とカテゴライズするには微妙な年齢であり、仕事をサボりながら読み終わってダラダラとこの感想文を綴っている。もしかしたら、この作品に共感できない方が「大人」なのかもしれない。僕はまだこの作品の登場人物たちと同じような年齢で止まっていて、焦燥感とぼんやりとした夢を抱きながら目の前に溜まった仕事のタスクから目を背けるだけだった。

何が言いたいのかわからなくなってきたが、とにかくめちゃくちゃ良かったです(語彙力の無さ)。もう少しだけ今を楽しめるように、ひねくれた捉え方を避けて2020年代を生きていこうと思う。

まぁ、その前にちゃんと仕事しような。

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